はぐれ日蓮の信者のつぶやき(廣田頼道の法話を聞いて・2022年一月四日の)

今後はあまり投稿することはないのかなあとか思っていました。テーマがなくなってきた とか思ったからです。でもまああまり深く考えずに、自然体でいこうと思います。

1月4日アップの廣田頼道の法話 「撰時抄 末法の今の民にてこそあるべけれ」を聞いて途中から涙が出てきてしばらく止まりませんでした。彼(廣田頼道)についてはもうあまり言うことはないかな?とか思っていました。

でもこの法話を聞いて 檀徒さん があまりにもかわいそうでチョットだけつぶやきます。

廣田頼道のハチャメチャな法話(真実とウソが入り混じっている・など)とか20年ぐらい前の(今の時でも) 富士門流信徒の掲示板のイソップのキツネのような人たち(全員ではない)の話を聞いてせっかく巡り合った日蓮の法門から離れたり、捨てたりしてしまうんではと思ったりしました。

 

法話の最初の方で佐渡御書の因果論とか【天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる籟人】とかだしてこういう因果論は日蓮も認めていて法華経にもあるけど爾前迹門の方便の教えであって法華経の本門の教えではないんだとか・わけのわからないような話をしていましたね。 

彼はホントどうしようもない人ですね❕反省とか勉強し直すという姿勢が見られませんね。『日蓮の法門の教師ではあってはいけない人』と断言します❕

同じ正信会の人たちはなぜほっとくんでしょうか⁇

※正月からと思い控えたつぶやき と思っていたけどチョットだけ追加しておきます。俺の忠告(手紙)から2年チョット無視するような生き方をしている彼、支離滅裂の度合いが大きくなってきているように感じています⁉『あしく敬えば国滅ぶべし』とか

『若脳乱者頭破作七分』とかの御文がよぎりました。認知症にはなってほしくないですね❕※カラスが黒いのは悪いことをしたから黒いのではないのです!黒人はみんな悪いことをしたから黒いのがや・超大爆笑・いいこととか悪いことではなくそれなりの理由・原因・業因があったということ(佐渡御書の解釈)因があって果がある・如是因如是果・方便ではないのです(方便品にあるけど・大爆笑)※かってに妙法を破折しないでください・超大爆笑・檀徒さんを惑わしているわけです※

 

途中から今までの法話会と違って檀徒さんの質問が続きました。

誰か俺のこのいままでの呟きを教えてやって❕といいたいですね。三寶院の檀徒さんたちに‼彼らの知りたい答えがきっとあるはずです❣

 

南無妙法蓮華経の生き方とは❓ 後半の檀徒さんの質問ですね。

俺の答え:【妙法蓮華経に南無する生き方】ということです。

妙法蓮華経(仏界)に南無(帰命)する・帰(かえる)命(もとずく)ということ。

具体的には読経、唱題を取り入れた生活をするということです❣

教義とか理屈、歴史などを覚えても(天台の座主)絵に描いた餅のようなものなわけです・教義とか知らなくても(有智無智をきらわず)南無妙法蓮華経と唱える(餅を実際に食べる・題目を唱える籟人)生活をするということですね❣

 

※今日、殺人をする・泥棒をする・強姦をするという日であっても、基本的に勤行をしなさい(どんな生き方をするにしても【妙法とともにあれ】ということ)ということですね❣仏の教えとは何それをしてはいけない!ということではなくて、こうすればこうなる、ああすればああなる(殺人は短命、泥棒は貧乏など) ということを教えているということだと思います。で【仏界(妙法)と共に生きなさい】 我々の存在というのは永遠常住ということです※

※「撰時抄 末法の今の民にてこそあるべけれ」というのは日蓮によって妙法(仏界)の【一乗の法が説かれている時代】だからということです❣

自分で苦労して探し当てなくてもすでにあるわけです。それはバカでもチョンでも(天台の座主のように頭が良くて教学の優れている人でなくても)できる方法なわけです。病人でも、貧乏人でも、馬鹿でも日蓮を信じ南無妙法蓮華経と唱える人でありなさい❣ということです。※

 

日蓮によって仏界(妙法)の一乗の法が示されたわけだから俺らはその教えに従って生きればいいわけです❣

厳密にいえば日蓮とは同じ生き方にはならないわけです❕

普段の生活の中で(農業だったり・会社ずとめなどなど)読経、唱題(勤行)を取り入れた生活をするということです。

 

仏(別しては日蓮)の教えとは、この世には仏界(妙法)というのがある。その力とか作用を利用・活用とかしながら妙法と共に生きるべきだ❕そして妙法を感得できればすべての悩みは解決する❣ということだと思います。[永遠に存在する自分・我・を知る、感得する]

妙法蓮華経の一番中心・核のところは【如来寿量品】ということです。

永遠の生命・我・というのが説かれているわけです。

 

日蓮妙法蓮華経(仏界)を身口意の三業で読み三つの大事なことを教えてくれたわけです❣

本尊(内なる妙法・自分自身)戒壇(場所的なこと)題目ということですね。

一乗の法とは【どんな人間でも人ごとに有智無智をきらわず一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱える】ということです。

人間が題目を唱える❣これで三つ揃うわけです❣

 

読経・経を読む・というのは廣田頼道のいう世雄偈読誦(方便品長行)が日蓮がごとくなわけです。 五座三座は石山の方法であって(日蓮没後だんだん出来上がった)日蓮本来の在り方ではないわけです。

石山の僧侶さんがやればいいわけです(勝手に・爆笑)

 

三寶院の檀徒さんかわいそうすぎます(涙)

※誤りのある師(廣田頼道)は捨てるべし❕ですね。いくらなんでもさすがに檀徒さんたちも彼のおかしいことに気ずいたんでは?今回の法話を聞いて怒りとか覚えない人は日蓮の信者ではないですね❕何回も何回もつぶやいてきたけれど廣田頼道には日蓮の名前は使ってほしくない❕ですね。何を語ろうと自由ではあるけれど※

 

❣妙法とともにあれ                ❣南無妙法蓮華経