はぐれ日蓮の信者のつぶやき(日蓮の信者の資格)

うちの近く(宮城岩沼)では桜も散り、蝶も飛び交う姿も見受けられる季節となりました。2021年も三分の一が過ぎ去り時の流れというのを改めて考えてしまう今日この頃です。セミが鳴いていたり、雪が降ってきて慌ててタイヤ交換したり、はたまた雫石にいたころトンボを追いかけていたことなど、ついこの間の事・いや随分昔の事だ、とかの想いに耽る時があります。 こういった出来事を、夢・権(かり)という仏教(仏の教え)

この今のこのからだ(肉体)を仮のもの・仮諦・(仮に因縁和合したもの)・如是相・応身如来・という仏教・仏の教え

 時というのを【過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり】というなど凄く心が魅かれますね。(仏の教えには)

 

日蓮の信者の資格』などというのは俺的にはどうでもいいこと なんだけれどもここで言っておきたいのは 学会とかお寺とかの組織、グループなどに属さない はぐれ者は日蓮の信者の資格はないのか? ということに対してチョットだけつぶやきます。

 

俺はどこの組織にも属さない、近くには仏法を語る相手は誰もいない全くの一人ぼっちのはぐれ者です。(基本的に求めていない)でもまったく不自由、不満などは感じてはいません。誰からか法門・教義などを聞きたいとかは全くないです。知っててそうなのかというわけではないです。化義(作法とか)などはほとんど知りません。

こんな俺なんだけれども 日蓮の信者なんだ❣ という資格は十二分にあると思っています。

ある意味日蓮を信じているという人は誰でも 日蓮の信者の資格 があると思います。(爆笑)

とは言っても

 

日蓮の教えというのは この世には仏界(妙法蓮華経)というのがあって、それにもとずく(南無・帰命)生き方をするべきだ!

【南無妙法蓮華経と唱える】ということ。

だと思います。

なので日蓮を信じ 南無妙法蓮華経と唱えている人 は日蓮の信者という資格のある人

なんだと思います。(教学は有るに越したことはないが、無くてもかまわない)

【信は理を求め、求めたる理は信を深める】

という言葉はあるけどね。(苦笑)

読経の内容は各門流によって違うみたいですね。 この辺はおきます。

基本は題目を唱える ということだと思います。

ということで題目を唱えない人(学会員であっても、お寺の信者?さん・法華講員であっても)は

日蓮の信者という資格はない ということだと思います。

信仰・宗教というのは人生に対する考え方(哲学)プラスそれにもとずく実践が伴うことだと思います。

 

石山(大石寺)みたく戒壇の御本尊(木・物体)が根本として尊形するものだ!という日蓮の教えにはない、まったく怪談のような(超爆笑)法をとく宗門の人たちとか、

日蓮より池田大作とか組織を上にもってくる創価学会の人たちとか、 日蓮の仏法を理解できずに自分勝手な法を語る廣田頼道などなど 日蓮の仏法からはずれている・はぐれている人達(はぐれ日蓮の信者)・超大爆笑・ であっても題目を唱えている人は 日蓮の信者の資格はある ということだと思います。

 

まあ常識的な話として、間違いだときずいたらその間違いを直すべきだと思います。

大石寺戒壇様を破折するのに『二種類の三大秘法』を作り出さなくても

【題目を唱えられねべ・戒壇様は】【物体・木を本尊とするのか⁈カルトだべ!】

これだけで充分だとと思います。 理証ですね 文証より大事(上)と云う事。

小学生いや幼稚園児でも解る‣判る事だとおもいます⁉

 

仕事の量がめっきり減り、時間に余裕ができた最近はよっぽどのことがない限り朝の勤行は欠かさない(夕方は欠かすことが多い・爆笑・苦笑)俺は 日蓮の信者の資格有り だと思います。 仕事とか普段の生活でもなにか問題とか結構発生します。でも理想的な解決が多いですね。

 

 

どこの組織に属さなくても 一人ぼっちでも 日蓮の信者の資格 は有るということだと思います。

仏の教えには 【仏法中怨】【与同罪】というのがあります。

俺はただただこの教えに従い恥をしのぎこのブログを始めたのでした。

 

このすばらしい人の生、極力楽しみながら残りの今世をおくりたいと思います。

 

妙法とともにあれ❣

 

 

 

 

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(妙法とともにあれ)

スターウォーズに フォースと共にあれ というのがありましたよね。

我々日蓮の信者には【妙法とともにあれ】が似合うかなと(爆笑・マジです)。

理論的には全ての存在が妙法の当体なわけです。

でも現実には 妙法を信じ南無妙法蓮華経と唱える人 が妙法の当体なわけです。

【所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり】

など。

日蓮の仏法(妙法)は人としての生・人生・を過ごすのに、大海原を航海する時の海図みたいなものですね。(本当はもっと凄い・あくまで譬えです)

迷わないで目的地に行くには非常に便利で大切なものですよね。

まあ真っ直ぐ目的地に行かないで寄り道するにしても(爆笑)さらにますます頼りになりますよね。

【一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、・・・所とは一閻浮提(この世・世界)なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、 法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし 現世安穏・後生善処とは是なり、・・・ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給え、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなへゐ(居)させ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし(致)給へ】

 

※自受用身について

自受用身とは ほしいままに受け用いる身 ということで 悟った法の功徳を自ら受け自由自在に用いる身 ということですね。

【自とは始なり即成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍って自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし、自受用身(ほしいままにうけもちいる)とは一念三千なり、伝教云く『一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・  出尊形仏とは無作の三身と云う事なり』

云々 今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり】・口伝・自我偈始終の事

 

自我偈について

【自とは九界なり我とは仏身なり偈とはことわるなり本有とことわりたる偈頌なり深く之を案ず可し、偈(ことわり)様とは南無妙法蓮華経なり】・口伝

 自我得仏来の事

【一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝珠不求自得之を思う可し、然らば即ち顕本遠寿の説は永く諸経に絶えたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは自我得仏来の行者なり】・口伝

 

自受法楽についてチョットだけ

【ただ今・仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時】・如説修行抄・佐渡

【一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給う事・うれしとも申すばかりなし】・最蓮房御返事・佐渡 

 今回の追加は途中で消してしまったりしたので、コマぎれで投稿しました。(爆笑)※

 

 

法華経を持(たも)ち奉るより外に遊楽はなし❣

 

今世に限らず未来永劫に渡って 持ち奉りたい ですね(大爆笑)

 

ネットを見ていたら廣田頼道の邪説【二種類の三大秘法】を粉砕す。

というのを見つけました。俺は2020年12月21日アップのユウチュウブで知っていました。また自分勝手な(我見・計我)法を説いているなあ 三大秘法の順番をどうたらこうたら言っている とか思っていました。

でもそれを取り上げてつぶやこうとは思っていませんでした。

けれども法華講員(大石寺)のこのネットを見てほんのチョットだけつぶやきます。

 

まず言い出しっぺの日蓮曰くには(御書)

如来滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答えて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。】・法華取要抄 身延

【実相証得の当初(そのかみ)修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり】・ぼん承事

【一には・・・本門の教主釈尊を本尊とすべし、・・・。二には本門の戒壇。三には・・・他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし。】・報恩抄 身延

とあり、全て 本尊・戒壇・題目の並びです!

題目(法)が本尊より先で題目を元にして本尊ができあがったとする廣田頼道・

その廣田頼道を二箇相承とか百六箇抄の偽書で破折しようとする法華講員どちらも本尊に迷っている ということです。

本尊は自分自身なのです❣ 自分があって(本尊)題目を唱える場所があって(戒壇

題目を唱える。 本尊・戒壇・題目 この並び何の問題もないでしょう!

※【本尊とは法華経の行者(信者ではない・実際に題目を唱えている人)の一身の当体なり云々】・口伝

木でも紙でも(書かれている文字に意味がある)仏像でもないということ・あくまでこれらは観心の本尊ということです。※

 

 

御書の御文を出さない廣田頼道 ほんと日蓮の名前をだして法門を語るな、いい加減にしろ‼ お前の語る法は我見・自分勝手な・のが多すぎるということだ❕

頭・あるいは感性 が悪くて理解できない というのはしょうがないけど、間違った法門は語るな‼くどいけど日蓮の名は使うな❕

他の正信会のひとたちは何も言わないのか!予同罪なんだぞ!

※廣田頼道は三世の生命を否定して(これは最近少し変ってきたかも・でも懺悔?してない)さらに宿業転換も否定していました、空諦(報身如来)と中諦(法身如来)これも取り違えて認識していました。今回の二種類の三大秘法 だけでなく日蓮の仏法の基本が解っていないということです❕御文(文証)もださないで我見を語る人なのです。

せっかく勤行の正論を説いているのに(世雄偈読誦)そのことを影を薄くしているわけです。※

元来短気な俺、でも俺を知る人たちがこの俺のつぶやきを見て、珍しいというと思います。

 

文字曼陀羅本尊は観心の本尊であって本当の本尊ではないのです。

この辺をどちらも分かっていないということです。

この情報化時代、いまだに戒壇の大御本尊が三大秘法の根本と云ってる人がいる!

戒壇様は題目を唱えることができません❕三大秘法総在ではないですよね。物体なわけです・書かれている文字に意味があるわけです❕この辺は理証となります。

(三大秘法総在の資格があるのは人間だけ)

文証もないわけです(偽書をもちだすのは滑稽ということです)力・効力とかないということではありません・他の文字曼陀羅本尊と一緒ということです。※

日蓮の名前を使って自分勝手な法門を説く人がいる!

なんかいいかげんつぶやくのが嫌になる時がありますね。 この辺で

 

コントレイルは負けるし!(重馬場)

 

妙法とともに❣

 

 

 

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(日蓮800歳の誕生日に思う・その2)

今日3月28日は日蓮の800歳の誕生日ということですね。

※4月6日でなくこっちをとります※

今の俺が暮らしている、宮城岩沼あたりでも桜のつぼみもピンク色が目立ってきました。(開花はまだ)日蓮が生まれた千葉の方は満開なのでしょうかね?

中山競馬場・千葉・は満開ですね。(TV中継で見た)(笑)

我が家の庭も緑が目立ってきました・雑草です・俺みたい(大爆笑)

誕生日なんかどうでもいいの俺 にしてもチョット感慨深いものがあるのかなと。

でしつこく2回目のつぶやきですね。

 

日蓮と云えば 南無妙法蓮華経 ですよね。今の文明で最初に云い始めたわけではないけれど(本人も言ってるように)彼の専売特許(正しい言い方ではないかも・ご勘弁を)みたいなもんですよね。

妙法蓮華経(仏界)に南無(帰命)する。

妙法蓮華経に帰る→死  妙法蓮華経にもとずく(命)→生・生まれる・生きる

南無というのは 死ぬ、生まれる 生死(せいし)かたち(相)に顕れた生命ということですね。

妙法蓮華経は仏界、でも残りの九界も含むわけです。南無妙法蓮華経は十界の生死・つまり我々の生死ということにもなる といえるのでは!

 

仏さまがなんでこの世に顕れたのか?

経文には 【諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうと為す】・世雄偈

とあり 開示梧入 の一大事の因縁ということです。

お釈迦様は開示(本果妙)の役割、日蓮は梧入(本因妙)の役割という感じかなと。

日蓮は菩薩であって仏さまではない、こんなことを云う奴は日蓮の信者というのはやめろ!と云いたいですね。 仏の境涯を得る方法を説いてくれた人を仏ではない?笑ちゃいますね まあそんなやつらは ほっとけ ですね(大爆笑)勉強しなおしてください、ということです。

まあ日蓮を信じない人は俺から言わせたら、仏教そのものを解っていない、信じない人たちということです。

※仏教は一人の人間の(別しては日蓮)日記文書ともいえる※

島流しされたり、貧乏くさい生活したりしたから仏でないというんですかね?

仏 というののとらえかたですね 仏といっても普通の姿・かたちなわけです。

簡単に一言でいえば境涯ということです。

身延に入った当初は別としてご供養とか結構あったわけで貧乏とかではなかったと思います。ただその使い道ですね!住まいを豪華にするとか、女に使うとか(大爆笑)ギャンブルに使うとか(大大爆笑)ではなくて、布教のためにつかったということですね。紙・硯などなど。 今の時代のだれかさんたちとはおお違いということです。

一大事の因縁は【南無妙法蓮華経】ということです。

南無妙法蓮華経を教えるためにこの世に顕れたということですね。

妙法蓮華経(仏界)に南無(帰命・帰る、もとずく)する生き方をするのが知的生命体(人間)のベストな在り方ということですね。 仏界を感得できればある意味自由自在にこの世を生きれるということですね。 自受法楽・自受用身(ほしいままに受け用いる身)※

 

本来仏教は生命(いのち)を説いたものです。

戦後戸田創価学会は貧乏とか病気などの宿命転換を表に弘教してきましたよね。

当時はそれでよかったんだと思います。生命の法則の中に宿業転換の法則もあるからです。 否定する人は何を根拠に云うんでしょうか? 実際に転換したひとが多くいるわけです。 できなかった人の方が多いかもしれませんけど、できた人は1人や2人ではないわけです。実際にあることを否定する!笑えますよね!

なぜできない人がいるのか?御書には書いてあるわけです。(十四誹謗とか)

日蓮の仏法を実践していくと、必ず(経験上でも)100%なにか問題が発生します。自分の内なる業因が出てくるわけです。これを乗り越えなくてはいけないということです。ただ軽く出てくる(転重軽受)ということです。

※とても軽いとは言えない人もいるかも!でも本来よりは軽いということです※

 

今の時代の日本は大体において、裕福になってきました。もちろんそうでない人もいるけど。

それで日蓮の仏法を弘めるテーマとして 人間死んだらどうなるのか というような生命論を前に出してはどうか! と思うわけです。

答えは仏教にしかないわけです。

科学とかが進歩・発展したら答えが出ると思っている人は思考力に欠ける人ですね。

 

病気が治る貧乏が治る(爆笑)もいいけれど、過去の記憶が蘇る、来世の設計ができる。 ということです。

まあ信じられないかもしれないけど ウソではなく、本当の事なのです!

これが仏教・仏のおしえなわけです。

 

仏教・仏の教えの根本は我々の生命は【三世常住】ということです。

この辺のことを悟る方法を教えてくれたのが 日蓮 なわけです。

どんなに頭のいい人でも理解できない・解らないという仏界 これを我々が意思表示とかに使っている言語・文字で書いたのが法華経というわけです。

それを 身・口・意 の三業で読んだのが日蓮なわけです。

仏の教えは日蓮に尽きる! と思います。

その彼の800歳の誕生日というわけです。

まあ日蓮を(仏教を)信じようと信じまいと人それぞれ自由なんだろうけど、信じない人は 人間とはなんぞや・生命とは?その答えを自分で見つけ出せばいいんだ、とおもいます。(たぶん正解は見つけれないと思う)

俺は自分ではできないので、日蓮を信じ彼の教えを自分の考え・意見とする ということです。ホントにホントに楽なわけです・大感謝なわけです。

 

悟る方法は全宇宙に一つしかない!というのが仏の教えです。

如来は但(ただ)一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたまうのみ。余乗の若しは二、若しは三有ること無し。】・世雄偈

【十方の世界の中には、尚二乗すら無し。何に況んや三有らんや。】・世雄偈

【十方の仏土の中には 唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し 仏の方便の説を除く】・比丘偈

日蓮の一乗の法を否定する人は、他の一乗の法を示せということです。

くどいけど一つしかない ということです!文句があるなら仏様に云え(爆笑)ということです。 仏教を信じる人はということです。

 

日本仏教自体を否定して原始仏教に回帰する とか言っている人がいましたね。

日蓮も大したことはないとか。

まあせいぜい頑張って ということですね 俺から言わしたら頭がいいんだか・悪いんだか? 悪いということです(大爆笑)

 

※竜樹・天台・空海最澄などなどもたいしたことないということですね! 俺は日蓮の信者で、彼を尊敬しているんだけれど、彼のことをバカだ間抜けだ童貞だとか悪口を言われてもほとんどきになりません。ただ法門が 間違いだ、たいしたことない というのにはカチンときますね。

日蓮の法門がウソだ間違いだというのは 羽生結弦選手がオリンピックで金メダルをとったというのはウソだ と云っているのと一緒ですね。

日蓮を信じ題目を唱えろ・折伏しろ と言われ、必死の思いで宿命転換を成し遂げた人たち この現実・実際にあったことを否定しているということです。

たんなるイソップのキツネの類ですね。(超大爆笑)(4月1日追加・家の周りここ二~三日で桜満開になりましたね。)※

 

俺は頭は悪いです(大大爆笑)なので素直に 日蓮を信じ彼の教えに従いたいと思います。

何回も言ってきたように、彼(日蓮)の教えをそのまま行じている組織・団体を俺は知りません。大手の(爆笑)学会・大石寺・荒行など取り入れている日蓮宗などなど。

そういうすがた・ありさま を見て日蓮自体ウソを教えた人というのはいかがなものかと

いずれ【一切は現象にすぎず】です。

俺は日蓮の信者です!

 

一乗の法とは?

【他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし】・報恩抄・身延

ということです。

 

【この世を自由自在に、永遠に生きたい】の俺 にピッタリだった仏教・なかんずく日蓮の仏法・岩手盛岡の感恩寺(かんのんじ・石山の末寺)で19歳のとき内徳信仰(文字曼荼羅本尊の下付はない)というかたちで、御受戒を受けました。

よび知識のあまりない俺は、読経・唱題に面食らったものでした。(苦笑)

以来唱題に付き合ってきた?わけだけれど、業が深かったのか、頭ではわかっているつもりでも読経・唱題になじめませんでした。

違和感がなくできるようになったのは、割と最近・母親の葬儀のあたりからです。

悟らなくても自分というのは永遠常住という思いがあり、あまり真面目にとりくまなかったのかなと。言い訳がましいけど、仕事(電気工事業・請負)ばっかりやってきました。

この辺についてはまったく悔いはありません。今世のいい思い出です。

母親が倒れたあたりから仕事がめっきりへり、時間的にも余裕ができたのです。

俺は三世の生命というのを堅く信じています。なので葬儀とか回向とかは結構大事な儀式ととらえています。

でチョット真剣になったということですね。

仏の境涯なんてあまり興味がなかったけど(目の前の欲望・笑・が第一・人生を楽しむ)今世の終りが近づいてきて(大爆笑)少しづつ興味が出てきた感じですね。

来世をどうするか・などとかです。

一日の終りのころ、明日の事を考える・に似ていますね。

なるたけ勤行をさぼらないで今後の人生を送ろうと思っています。

 

今日は晩飯のとき酒を飲みました。その後読経・唱題しました。

酔っ払い勤行ですね。(笑)

酒を飲みながら、Hしながら題目を唱える 日蓮は肯定してましたよね

俺はそんな彼が好きです。法華経を身読した彼を尊敬しています。

 

たいへんたいへんご苦労様でした  800歳の誕生日に

 

 

 

 

 

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(3月28日・日蓮の800歳の誕生日に思う)

 

今年3月28日は日蓮の800歳の誕生日ということです。

旧暦1222年2月16日から800年、今の暦では2021年3月28日がその日ということです。

※貞応(じょうおう)元年2月16日はグレゴリオ暦では4月6日(たしか水曜日なんだとか)ということですね。だったら誕生日は来月4月6日火曜日ということかもしれません。 でも俺は単純に今年の暦で旧2月16日は3月28日ということなのでコッチをとりました。※ (3月29日追加・今日は暖かく天気も良くて、家の近くの桜も結構花びらを開いてきています)

生まれたのは桜の咲く時季なのに、2月16日では桜はまだということで俺的には違和感があるわけです。

まあ俺は自分の誕生日をケーキとかで祝うとかの環境で育ったわけではないので、誕生日だからといって特別な思いとかはあまりないですね。ゼロではないけど。

いつのまにか根本信条が【智者に我が義破られずば用いじとなり】から

法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし】に替わっている自分がいる・ことに気づきました。

馬鹿でなまけもので頭の悪い(若いころはたいていのことは理解でき覚えられるといううぬぼれは有ったけど、アルコールに浸かったせいか今はもうダメ・爆笑)俺は人を生きる信条・道しるべとして日蓮の仏法を頼っているわけです。

俺が一番頼りにしているとか尊敬している人なわけです。

今の文明で仏の境涯を得る方法を示し教えてくれた存在なわけです。

後で生まれた俺たちはその教えを元に生きればいいわけです。大変楽なわけです。

ほんと俺みたいなバカでナマケモノでもその恩恵を受けて人の生をすごせるわけです。

800年長かったのか短かったのか?

時の流れというのも不思議ですね。人の記憶というのも不思議です。

小中学生だった頃の俺、それから約50年という時が流れ過ぎた今、その頃の記憶も蘇るときがあります。 800÷50=16(爆笑)

仏教では我々の生命は永遠常住と説きます。基本、過去世の記憶は忘れ?られています。

歳をとると昨日の事とか1時間前の事とかも忘れる人もいますよね(大爆笑)

9歳から10歳ぐらいのわりと知能の高い子供の中に多いそうなんだけれど過去世の記憶を語る人がいるということが報告されていますよね! 記憶 不思議ですよね。

仏界・仏の境涯には過去世の記憶があるということです!

仏教経典の中にはそれを元に説かれたのも結構ありますよね。

今の時代は昔と違って、特に戦後・戸田創価学会の後そして今のネット情報化時代では、誰でもどこでも日蓮の御書(真櫃でも偽書でも)とかいろんな資料を見ることができます。 そういったことでは大変便利な時代になりました。

日蓮の仏法においても、それを信仰する団体・宗派(お寺)などのウソ・偽りはばれ、メッキは剥がれてきた! そういう時代・時 ということなんだと思います。

日興さんの身延離山なんかもそのひとつかも?

 

こういう時代だからこそすべての仏教を棚の上にあげ・洗い出し、そもそも仏教とは何なのか・それぞれの経典の位置などを確定させるべきでは! と思ったりします。

(実際は確定している・知らない人が多いのではと思うのです。日蓮の信者は偽書とはいっても書かれている法門はウソとはならない、勘文抄・や開目抄などを読めば解るわけです。)

法華経以外の経典には実際の仏はない!ということです。いまだに日本の国に多い浄土宗、禅宗などなどは仏の名はあっても実体はないのです。

女の人も成仏できない!こんな宗派をいまだに信じている人が多いわけです。

 

日蓮の仏法においても同じですね。正しい日蓮の仏法・その在り方とは?

日蓮をもちいぬるとも悪しく敬わば国滅ぶべし】

悪しく敬っている例 まずは

大石寺  御書のどこにもない『戒壇の御本尊様』が三大秘法の根本だとか、代々の貫首さんが今日蓮だとか文盲相手の時代ならまだしも『家中抄』などだれでも観れるこの時代ウソ・偽りは通用しませんね。 恥ずかしくないんでしょうか?

登山会を頻繁に行いお金を集めている!どんなもんでしょう。最近の貫首さんで東京のどこだかに豪邸をたてたひとがいましたね。そんな金があるなら登山参拝者さんの通るところにトイレでも造ってやれ・といいたいですね!(年配者はトイレが近いのです・笑)まあ間違ってもこの辺は(自分の豪邸を建てる)日蓮ではないですね。(大大爆笑)

 

創価学会 ここはあんまりつぶやけないかも。なぜなら離れて40年ほど実態など知らないからです。知っている会員さんも2人だけ(岩手・雫石の人はおく)仕事をもらってきた会社の番頭さん(父親の葬儀が学会葬・宗教とかの話はしたことはない)と

国分町のスナックのママさん・学会員というのは割と最近知ったのでした、知り合ったのは30年以上まえになりますかね、分町には結構通ったわけで知っている女の子もそこそこいるわけです。その中でなぜか一番のお気に入りでした(ウソ偽りのないまったくの本心です)女優の松島トモ子さんに顔立ちが似ている そんな感じです。

学会員だと知って凄くうれしく思ったものです。本人はあまり熱心ではなく、母親が熱心だといっていましたね。まあ日蓮の仏法の繋がりということです。 以上の2人です

スナックとかは今回のコロナで大変な状況になりました。俺は【なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし】・四条金吾殿御返事・とかしかかけてやる言葉がありません。

学会は池田によって捻じ曲げられ日蓮の仏法を根本信条としているはずなのに、それから外れても、組織・池田を優先しているということです。

※学会は 戒壇の御本尊(大石寺・ある意味物体)を根本とする という間違いからは脱却したけど、 池田大作(ある意味大六天の魔王) からは 脱却できていない

今後どうするんだか⁈歴史的にどういう組織と評価されるのか?瀬戸際かなと思います※

俺は『財務』というのは週刊実話という週刊誌で知りました。こんなことをやっているんだ!とおもったものです。

 

廣田頼道 彼についてはいままでつぶやいてきたとうりです。チョットだけ追加すれば彼は俺が指摘するまで、法身が空諦・報身が中諦と認識していました❕(2019年8月29日のメール)

【昨日の上川原のメールの中で、法身が中諦、報身が空諦、応身が仮諦とありましたが、正しくは法身が空諦、報身が中諦、応身が仮諦です。認識を訂正して下さい。】

当時ここまでひどいとは!と思ったものでした。メールをみてすぐネットで確認して(三身三諦)ラインで送り御義口伝の御文も送りました。その間10分です。

つぶやきでは、勘文抄の名(文)も出したけど、他に 十如是事 もありますよね。曰く

【初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、次に如是性とは我が心性を云うなり是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、三に如是体とは我が此の身体なり是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり、】

これを間違って認識してるというのは俺からしたらあり得ないことです!

とても日蓮の仏法の教師ではあってはいけない人と思うわけです。

彼についてなんだコノヤロウと思うのは、間違って認識していたということではなく

間違いを指摘したのに、反論もせず(反論出来るはずもないのだが)修正しない・直さないでいまだにそのまま法話とか続けているということです。

俺みたいなどこの馬の骨かわからないような・日陰のコケにも満たないような・はぐれ者のつぶやき なんかは無視してもいいけど、【引き合いに出した日蓮の御文】これを無視するんじゃない❕ ということです。

家を出て暮らしている娘さんのことを懺悔するよりも、自分の信仰を懺悔するべきでは? とおもうわけです。

あなたの否定する 宿命転換 の法則

貧乏人(病気の人)が法を広めるために人に日蓮の法門を説く(折伏)そしたら相手の人が貧乏(病気)をなおしたら出直してこい・そしたら話を聞いてやる・貧乏人(病人)がなにをいうんだ・とか相手に馬鹿にされることで自分の悪業が消えていく・無くなっていくということだそうです。弘教(折伏)は化学反応の触媒のようなもので宿命転換を早めるということです。

戸田創価学会はこれで多くの実験結果を出した!と俺は認識しています。

廣田頼道は娘のことを何ともできなくてなにを言ってんだ!と言われて宿命転換をしていくわけです。

あと、私たちは生まれてくるところを撰べない・とか言っていたような?

佐渡御書に【烏(からす)の黒きも鷺(さぎ)の白きも先業のつよくそみけるなるべし外道は知らずして自然(じねん)と云い】とあるようにある意味自分で選んで(大爆笑)生まれてきたわけです。 これが日蓮の仏法です。

外道は知らずして!日蓮の看板をあげている人がこんな様なのです。哀れというかなんというか でも間違いは正さなければならないのです。

仏の境涯の人は 想いどうり のところに生まれれるということです。

 

 

 

俺(爆笑) 俺については悪しくではなく、弘教に熱心でない 懈怠(ナマケモノ)とかにしてもらいたい。(苦笑) 破折、屈服さしてもつれていくところがないのです。

元々俺は広宣流布の流れにはあまり興味がなかったのです。チョットはづれたところで眺めていれればいい と思っていました。

なので今の俺は望みが叶った状況といえるかもしれません。(日蓮の如くではないとは思っています)

このブログのせいで人差し指の先っぽぐらい流れに突っ込んでしまった かもと思ったりします。

 

正しい日蓮の仏法の在り方  

これは間違いを正し、悪しく敬っているところを直す・ということなんではと思います。 すごく当たり前のことですよね(大爆笑)

 

 

長くなったのでこのへんにしようかなと今回は

 

3月28日に投稿しようと思っていたけど、昨日(20日)午後6時9分頃の地震震度5強)があったりで、一週間早いけど今日(21日)投稿します。

地震は出先で5秒ほど前にいた場所がガラスの破片が降り注ぐという感じでした!

※防炎垂れ壁のガラス※

かん一発無事でした。家の被害もなかったです。

冒頭の書き出しは 今日3月28日から今年3月28日に変えました。

 

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(スマナサーラ長老の動画・人間死んだらどうなるか・を見て)

冒頭から 『実は、死にましたらどうなりますかと 分かりませんよ わかりませんから それだけのことなんです』 これを見て・聞いて思わず声を出して笑ってしまいました。

で大変正直な人だなあ と思ったわけです。

 

※途中からなんだこいつは!仏教・仏の教えというのを知っているのか?まったく話にならない‼と思ったわけです※

 

仏教を学び知識はたくさんお持ちなお方とお見受けいたします。

でも仏教は生命を説いたもので死んだらどうなるのか?その答えも説かれているわけです。

それを 分からない 何を学んだのか と思ったりするわけです。

確に悟った人でなければ分からないことかもしれません。でも俺のとくいな言いわけ・牛乳を飲んだことが無くても 白いとか液体だ とかは語れるわけです。

彼は 分かる方法が一つだけある 死んでください、そして教えてください というようなことを言っていましたね。 ここでも笑ってしまいました。確かにその通りと思います。死んだ人には聞けないということなのでしょう。

ほんと仏教の基本が解っていない人 ということです。

仏教は【死んだ事がある人が説いた教え】 ということです。

この基本も分かっていない人の法話俺的にはコッケイに思えるということです。

確かに正しい部分もあるわけです。でもそれは九法界(地獄・・・菩薩)のことなわけです。 彼は仏界(法華経)を認めていない・とか思うわけです。

確かにくどいけど悟った人(仏)でしか分かると言えないかもしれません。

まあナマケモノではぐれ者の俺ではあるけど 自称・日蓮の信者 としては一言二言

つぶやきたくなるわけです。

 

※「来世があるかないかそんなの分からない、どうでもいいじゃないか・現世を正しく生きなさい」の彼 自分の学んできた仏教?それが膨大な経典の中でどの位置にあるのか? とか勉強しなおしたら! 法華経(仏界)の勉強・実践 一念三千の法門を勉強してみな❕ と申し上げたい※

※仏教はこうあってほしい ということで作り上げられた物語ではなくて こうなんだ という悟り を説いたものということです❕※

 

法華経は仏教ではないのか?俺はお釈迦様が説いたものでなくともインドになくても

仏教・仏の教え と捉えています。

無量義経法華経・涅槃経は仏界(自行・うつつ・実・の教え) 他の経は九界(化他・夢の中・権・方便・の教え)

【夢は仮に有って体性無し故に名けて権と云うなり、うつつは常住にして不変の心の体なるが故に此れを名けて実と為す】

【生死の夢は権(かり)にして性体無ければ権なる事の手本なり故に妄想と云う、本覚のうつつは実にして生滅を離れたる心なれば真実の手本なり故に実相と云う】

我々の生命は 有るものでも無いものでもなく、自他でも出でも没でも生滅でも此(ここ)でもあっち(笑)でもなく得るものでも失うものでも去(さる)でも来るものでもない存在?ということです。

こんなの分かるわけないですよね!信じられないですよね!

どんなに頭のいい人でも無理ということです。

時間、時ということで

今の我々の文明では重力と時間の関係性として重力が強いほど時の流れが遅いと明らかにされていますよね。宇宙ステーションの人は地上の人より早く歳をとるわけです(大爆笑)信じられますか?信じられなくてもこれが真実ということです。【過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり】魅力的な御文ですね。

 

仏界を説いた法華経には

【我実成仏己来、無量無辺百千万憶那由他劫】【常住不滅】【我常在此娑婆世界、説法教化】 などなどあり

人間死んだらどうなるか? この答えは?

そもそも死とは【方便現涅槃】ということで生命活動の変化相ということです。

 

※くどいけれど 昨日誰それとHした(爆笑)、一昨日誰それさんが死んだ、七日前誰それさんに子供さんが生まれた、という出来事は実際現実に有った・有ることなわけです。

仏の教えではこれらの出来事は 【生死の夢は権(かり)にして性体無ければ権なる事の手本なり故に妄想という】・【夢は仮に有って体性無し故に名けて権と云うなり】

ということで実ではなく 権(仮・かり・夢)ということです。※

※実のことを説いたのが法華経というわけです。 権のことが説かれているのが他の経典ということです。 仏と成(ひらく)るには法華経しかないわけです※

 

日蓮の信者さん皆さん毎日読む経文に書いてあるわけです。

我々の命は常住不滅ということです。これを感得・悟りたくて読経、唱題するわけです。

これを知るには全宇宙には一つの方法しかないと仏様は言っているわけです。

信じようと信じまいとこれが仏の教えです。

肉体がなくなるのに常住不滅はないべや! というかもしれません。

肉体(如是相)はそれぞれある傾向によって仮に因縁和合されたものなわけです。

肉体を構成している物質は何年かの内にすべて入れ替わっているということです。

死んだら早い人は瞬時に受精卵が如是相となるわけです。でない人はいろいろということなんだろうけど一言でいえば宇宙そのものが如是相ということだと思います。

今の自分・昨日とか10歳のころの自分を分析してみればある程度察しが付くと思います。肉体(如是相)とか好みなど(如是性)は変わっているわけです。でも俺(如是体)は俺なのです。

本当かどうかというのは実験するしかないわけです。

死ぬということではないです(大大爆笑)

実験しない人はウソだとか本当だとか結論は出せないと思います。

まあああだこうだとか言うのは自由なんだろうけど(爆笑)

あと我々は誰が決めたんではないだろうけど夜眠りますよね(夜寝ないで一生懸命活動して昼寝る人もいるかも・爆笑・でも必ず寝るわけです)

この辺も我々の生命を考えるヒントになるかもと思ったりします。

寝ているときの自分 これを分析してみる ということです。

 

今年(今日)3月15日は俺がボストンバッグ一つで仙台にでてきて45年となります。

着いてすぐ職安にいき仕事を決め、不動産屋にいき、アパートをきめ、布団を買い、というかんじで動きました。午後からは小雪がちらつき肌寒い日でした。割と必至だったんだね よく動きました(爆笑)

カーテンもない、敷き布団・かけ布団、だけ枕はなしという シンプルなかんじでした。  日蓮よりははるかにましでしたね! トイレもあるしフロもあるし(共同だけど) 雪は入ってこないし(笑)

次回は日蓮の誕生日かな? 800歳

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(仏界)

【但(ただ)仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむることなかれ。…末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり。】

この現じ難い 仏界 とは何だろう?とか思ったりするわけです。

悟った人しかわからない 仏でしかわからない ということなんだと思います。

でも例えていえば牛乳を飲んだことがない人でも、ああだこうだとか例えば白いとか液体だとかいえるわけです。

なにしろ興味があるわけです。

仏界を感得すれば生きる事とか死ぬこととか自分(我)のことがわかるというわけです。

でそんなこんなでほんのチョットだけつぶやこうかなと。

無量義経

【その身は有に非ず亦(また)無に非ず…種種の色に非ず】

とあり この34の非ず(自他とか短長とかは一つと数える)に当てはまってなおかつ

存在?するもの これが生命であり仏界ということだと思います。

戸田城聖さんはこれが知りたくて獄中で約200万遍の題目をあげて(唱えて)悟ったということですね。

これが創価学会の原点かなと思います。 法華経をわりとスラスラと読めるようになったということです。

戸田さんは若いころ、生まれて間もない娘さんを亡くしたそうです。

で戦後(昭和27年11月)入信してきた女の子の中に其の亡くなった娘の生まれ変わりを見つけたといってたそうですね。

 

話はズレるけど埼玉県大宮市出身の松島郁子さんですね。後の藤原行正(ゆきまさ・大橋敏雄さんは、ぎょうせい さんと云っていましたね・まさに名は体を表す・政治)さんの奥様です。

俺は割と最近まで行正さんの次男、範昭君は池田大作の甥御さんと思っていました(大大爆笑) 奥様同士が姉妹と思っていたのでした。 かね夫人は松島家ではないですね

俺の言い訳(苦笑い)は池田が結婚した翌年(28年)あたりから郁子さんより2歳年下の妹通子(当時早稲田の女子学生)さんと深い仲になったというのが強く頭の中にあったからかなと。 池田は姉の郁子さんも狙っていたみたいですね。(姉妹の母親の話として伝わっている)

池田のオンナがらみの話はかなり多く語り伝わっていますね。

創価大の女の子を見初めものにした後次男・城久くんにあてがい結婚させ、生まれてきた子供は大作の子供でその辺の心労からか城久君は胃穿孔(いせんこう)になり死んだ

とかお手付き女子部員をイエスマン幹部に下げ渡し学会を支配するのに使ったとか

各地の池田記念会館の最上階には池田専用施設を造りハーレムのようなひと時を過ごしたとか(さすがに騒がれ取り壊した・皆さん知ってる事実です)

 

※財源は信者さんたちから集められた(財務)お金だと思います!だます方もだます方なんだけれど、騙される方もだまされる方なわけです!そんなやつを「先生」などと笑ちゃいますね。まあ先に生まれたという意味での先生ならわかるけど(大大大爆笑)※

 

池田に抱かれたいと思う人もいるかもしれないけど、イヤ という人もいるわけです。

池田を告訴した人もいましたね! 皆さんよくご存じだと思います。

裁判の時証人がフェラチオの場面を目撃したとかの話がでた などなど

でも俺はこの辺に関してはよくぞやったなあ大したもんだとか思うわけです。

仏の教えは基本的に何それをしてはダメ というのではなく こうすればこうなるということを説いていると俺は捉えています。

Hしてはダメ・不倫してはだめ・ドロボウしてはダメ・殺人してはダメとかでなく

殺人したら短命・ドロボウしたら貧乏などというわけです。

末法無戒といっても何してもいいということでなく、釈迦仏法の戒はなくていいということだそうです。(妙法の不信・誹謗は厳禁)

俺が池田大作を許せないと思うのは、まじめに日蓮の仏法を勉強・修行しようとしている人達を利用し自分の欲望の餌食にし、その道をふさいだり、そらせたりしたということです。かなり多くの人がその被害にあったと思います。

彼は仏の境涯ではなく、餓鬼・修羅の強い人と俺は思っています。(誰でも菩薩界の部分は多少は現わす)

池田大作の素顔に目をそらさないで と思うわけです。

俺は彼がまともな死に方だったら日蓮の仏法はウソだ!と思い、言い続けてきました。

命終入阿鼻獄の前に頭破作七分ということです。

巷間言われているように、認知症が進みウンチ垂れ流しであったなら なるほどな と思うわけです。

池田大作の死が発表された後、学会はどこへいくのか?

本来の学会を捻じ曲げた池田をどう取り扱うのか?

 

戸田さんの娘さんの話のところからズレましたね。

仏界には過去の記憶があるということだと思います。

過去世で別れた人、現世で死に別れた人、姿・かたち(如是相)が変わってもわかるということです。

 

※仏界(衆生本有の妙法)は誰でももっているものです。覚知(悟る)した人を 仏

でない人を凡夫というわけです。 みんな仏であり、凡夫なわけです。

仏界のことを語っているのが法華経で、それを身でもって読んで三つの大事なことを教えてくれたのが日蓮なわけです。※

 

今回はここまでとします。  タイトルも(仏界)そのままで

 

※【池田大作の素顔】 1989年4月10日 藤原行正 著など参照

一度だけお会いしたことがあります 小柄で眼光が鋭く しっかり目をみて握手する人

という印象でした。※

 

 

はぐれ日蓮の信者のつぶやき(仏教・仏の教え)

俺みたいなやつが語るようなことではないんだろうけど、今の自分が捉えていることを整理、確認ということで軽くチョットだけつぶやこうかなと思います。

 

今のこの我々の文明、世の中に仏教・仏の教え というのがあります。

いつ、どこで、誰が、何のために、説いたのか・その内容とは?

いつ→約3000年ほど前(750年ほど前文字曼荼羅に仏滅度後2230余年とかから・2230+750=2980)(日蓮の認識では)

どこで→今のインド・ネパールのあたり

誰が→いわゆる お釈迦様

何のために→人間の基本的な苦悩(生老病死)の解決のため

に説いたということです。

でその内容とは?

 

いまに伝わる八万法蔵ともいわれる釈迦一代の法門はあまりにも多いわけです。

正確に言えばお釈迦様の書かれた経典は唯の一つもないわけです。いわゆる偽書なわけです(大大爆笑)如是我聞(このように聞いた)というのを後の時代の人が書き残したわけです。お釈迦様が使っていた梵語の法門を中国に取り入れたとき漢字に訳したわけです。法華経では六訳三存といって六種類訳したのがあってそのうち三種類が残っているということです。日蓮鳩摩羅什の訳した【妙法蓮華経】を採用しているわけです。

妙法蓮華経という言葉自体原本にはない とか言ってる人がいましたね 思わず笑ってしまいました 鳩摩羅什は意訳が強い とか 後で付け加えられた品がある ともども

文 でしか読んでいないのでは! 二乗根性の人は永く悟れない ということが思い浮かびましたね。 いずれ仏教経典自体偽書なわけです。

無量義経偽書とか言っている人がいます。インドに原典が無いから?とか言ってほんと此の人は笑えますね・俺からしたらだけど・くどいけど仏典すべて偽書なわけです。要はその内容がただしいのか・ウソなのかということです。一念三千の法門・これも原典にない・ウソなのか? 実際にやってみてウソか本当か判断するべき と思う。

この辺はおきます。

 

この膨大な教法を五時八教という経判で分類判別した人がいました。

天台智顗ですね。 

五時→華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃

八教→化法の四教・教法の内容で分類  化儀の四教・教化の方法

五時については【諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。】守護国家論

とあり対告衆の機根に応じて、前後して法を説いたということです。必ずしもはっきり区別されるということではない、ということだと思います。

こんな面倒くさいことはおきます。

 

仏の教えとはこの世・世界には 【仏界というのがある】それを感得・体得(いわゆる

成仏・仏とひらく)すれば一切の悩みが解消される ということだと思います。

 

※はじめのない過去から続く自分(我)をみる(観心)・久遠の自分・生命の実相(うつつ)・を知る ということ。※

 

で仏界というのは 【妙法蓮華経】 ということです。

仏界を説いたのが法華経というわけです。

膨大な数の仏典、法華経以外の経典は心(如是性)とか躰(如是相)の部分的なところを説いた経典ということです。

 

法華経を実教・その他の教を権(ごん・かり)教とか

法華経以外の経典を 法華経(真実の教)に至るための支度、準備(爾前)の教とかの言い方・捉え方もありますね。

この辺を無量義経の【四十余年未顕真実】方便品の【正直捨方便、但説無上道】などを引いてつぶやこうと思っていました。

でも無量義経偽書で天台智顗が未曾顕実を未顕真実と変えた とかで法華経は真実の教とはならない とかの書き込みとかを見ました。

※勘文抄の引用もやめます※

でとりあえず省きました。そんなこんなでわかりにくいつぶやきになったかもしれません。(もともと文才のない俺全部それでなくともわかりにくいのかも・大爆笑)

この辺について俺は仏教経典はそもそも全て偽書(お釈迦様本人が書いたものでない)

であって時の流れの中で進歩、完成されてきたものととらえています。

悟った人たち、それに準ずる人たちによってということです。鳩摩羅什・天台智顗・日蓮などなど

無量義経法華経・涅槃経と物語が完成されてきたということです。

内容が本当かどうかというのは実際にやってみて検証するということです。

この辺をいろいろ言っている人達については俺的には笑えるということです。

(表面的なことだけを捉えて、法門のことはおざなりにしている)

まあ俺なんかよりははるかに頭が良くて、いろんなことを知ってはいるんだろうけど。

そういう人たちにはなりたくはないですね。

経にいわく【説此語時、会中有比丘・比丘尼…五千人等、即従座起…及増上慢、未得謂得、未証謂証。有如此失。…如是増上慢人、退亦佳い】方便品・世雄偈

俺は教学なんかなくてもただ日蓮を信じて南無妙法蓮華経と唱える・唱えられる存在でありたい そう思っています。(まったくの本心です)※

 

※仏教・仏の教えの根本的な最終形態・法華経の三つの大事なこと・の基本・【他事を捨てて、余行に渡らない南無妙法蓮華経と唱える】ということです。

 表面的にはお釈迦様の残されたという仏典にはないわけです。※

 

仏と成(ひら)くには 法華経 しか無い ということです。

偽書であろうとなんであろうと今に伝わる妙法蓮華経を 身・口・意 の三業で読んだのが日蓮ということだと思います。

俺はただ日蓮を信じるということです。研究者ではありません。

まったく悔い・迷いはありません。 どういう生き方ができるか! ということだと思います。

仏の悟りの根本は 【我実成仏己来、無量無辺百千万憶那由他劫。】

我・自分というのは遥かなる過去から存在してきているんだぞ

【我常在此娑婆世界、説法教化。】

我・自分というのはこの現実の娑婆世界にずーと常(つね)にいるんだぞ

ということだとおもいます。

これを悟った人を 仏 悟れていない人を 凡夫 ということだと思います。

仏も凡夫も同じひとなわけです。

 

仏教は実験証明できるわけです。 (信じられなくても)(科学的ですよね!)

どうしても、何としても結果が出ない・これではじめてウソ・間違いとなるわけです!

ただ結果が出ている・出した人はいるわけです。 そういうことです。

 

ここまで科学が進歩した時代、神様がこの世を創造した というのを信じる人がいる 

というのは俺的には信じられないですね⁉

しかも今の地球人約80億人の30%ほどだとか?

 

※科学とかに違背しない仏法の生命論(信じられないという部分もあるかもしれないが)キリスト教ヒンズー教イスラム教などの矛盾を感じた人たちが仏教の英知に目を向ける時が必ずくると信じています。仏教 発祥の地インド、ネパール(いまは8割以上の人が信仰しているというヒンズー教・9億人ともいわれる)へ日本から逆に伝わっていくということです。科学とかの進歩によって理解しやすくなったと思います。※

 

悟った人たちが伝え今に来ている仏教・仏の教え 鳩摩羅什妙法蓮華経は大変すばらしいと思います。

仏教・仏の教えは【信じる】ということから始まります、(以信得入)

理解してから入るわけではないのです。

信じて行けば智慧がついてくるわけです【以信替慧】

理解するには信じるしかないわけです!

どんなに頭のいい人でも無理ということです。

経文では 舎利弗 でも無理ということでしたよね。

 

※今の我々の文明において、仏教・仏の教えの最終は日蓮・南無妙法蓮華経ということだと思います。※

後我々は証明するだけ と思います。