はぐれ日蓮の信者のつぶやき(自分のこと14・独り言‣大聖人さまへの想い・を見て)

妙風8月号を見て凄く感動、目に留まった記事がありました。(俺的に) 日蓮大聖人御生誕800年慶祝記念企画 【大聖人さまへの想い】 の千葉県円乗寺・松丸美恵子さん・の手紙です。

2度目の「大聖人さまへの想い」にペンを執らせていただきます。

勤行のことですが、今までは義務的な気持ちでおこなっていましたが、令和元年のお寺の青年部の勉強会に参加させていただいてから、【真剣に勤行しなければ!】

という気持ちになりました。それからは、・・・今まで人との関わりで、悩み、苦しみ等多々ありましたが、「すべて私の修行のためだったのだ」・・・苦しい時は修行を与えてくださり、楽しいときは「がんばったね!」と大聖人さまがご褒美を与えてくださったのだと思っています。いろいろな体験を私に与えてくださって、ありがとうございます。【 これからの私の人生、成仏への一里塚、成仏への道しるべを見失わないよう、老後を楽しみながら歩んでいきたい】と思います。 後れ馳せながら、今からでも間に合うと気づき、毎日少しずつ御書を拝読しています。難しいですが、心の眼で読むようにしています。それも楽しみの一つとなっています。

大聖人さま、お願いがあります。【臨終の時】、「よく頑張ったね‼」とお迎えにいらしてくださいね。

大聖人さま、よろしくお願いいたします。

・・・は気まぐれでカットしました・ごめんなさい。

令和元年に目覚めた・割と最近ですね。 まあ俺的にいろいろ言いたいことはあるけれど、 胸と目頭が熱くなりました。

俺の「日蓮への手紙」もこの企画がきっかけです。知り合いが上川原さんだったらどう書くといってきたので「大変ご苦労様でした・・・自分の好きなように、酒でも・女でも・ギャンブルでも・楽しみながら生きて行って欲しいと思います」 と俺は書いたわけです。 メールのやりとりでした。一年以上たちますかねそれから。今でも全く同じ想いです。

カット復活

・・・のところ それからは、朝は5時に起きて勤行を始め、夕方は家に帰ってからの時間で、真剣におこなうようになりました。勤行をしているとき、大聖人さまがいらっしゃるのを常に感じることができ、喜びでいっぱいです。常に大聖人さまが私を見ていてくださっているのを感じながら、毎日をありがたい気持ちで、生活をするようになりました。

二つ目の・・・ と思うと、またまた感謝の気持ちです。

俺って変な奴ですね あえて編集しないで離しました。( みずらい・ゴメンナサイ)

俺の臨終のときは、仏の迎(一佛でも千仏でも)でなくて、エンマ大王でもいいです・(マジで本当・爆笑)

俺は【三世常住】それだけでいいのです。

仏の境涯を得るから生を楽しむに替わったのです。(この仏法からは離れたくない)

美恵子さんには、日蓮だけでなく大勢の仏さまたちが迎えに来てくれると思います。

こういう信者さんがいるということを知ったら、日蓮は法を説いて良かった・としみじみと思うかもしれません。(柱・眼目・大船とならむとちかった彼は)

【自他の生死は知らねども、御臨終の刻・生死の中間に、日蓮必ず迎いに参り候べし。】 上野殿御返事 身延

【霊山において「日蓮日蓮」と呼び給え。その時・御迎えに罷(まか)り出ずべく候。】遠藤左衛門尉御書  佐渡 

 

【臨終】 人間だれしも迎えますよね。自分で自ら今世を終える人(三浦春馬君みたく)病気とか疫病で迎える人(志村けんさんみたく)事故でとかあるいは老衰とか・いずれ100%なわけです。

三世の生命から見た場合、【死に様(相)】は結構大事ということだと思います。

【人の寿命(いのち)は無常なり、出る気(いき)は入る気を待つ事なし・風の前の露なお譬えにあらず。賢きも愚(はかな)きも・老いたるも若きも、定め無き習いなり。されば、まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。】 妙法尼御前御返事 身延

【最後臨終に南無妙法蓮華経と唱えさせ給いしかば、一生、乃至、無始の悪業・変じて仏の種となり給う、煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり。】同 身延

とりあえずこのへんで  いやー日蓮の仏法っていいですねー

遅れ馳せながら、今からでも間に合うと気づき、毎日少しずつ御書を拝読・の美恵子さん(俺と同年代かな・いや少し若いかな?)(5歳ぐらいは少し若い・10歳以上はかなり若い・たぶんかなりの方・苦笑)・人生・を楽しんで・とエールを送りたいと思います。

世間ではいろいろ雑音があります(まさにイソップのキツネですね)。でも日蓮の法門はすでに証明されている・と俺は認識しています。 結果が出ない人は何故でないのか・ということを研究すべきと思います。

 ある程度の年齢にたっした人で自分の生命論を持っていない人はかわいそうですね。