はぐれ日蓮の信者のつぶやき(二処三会)

これもまた、俺みたいな浅識の語れることではありません。でも次につぶやこうと思っている【日蓮釈迦牟尼世尊】と関係あるとの思いから少しつぶやこうと思います。

法華経は御存じの通り28品(章)で成り立っていますよね。 この説かれた場所・集まりとかをいう言葉ですよね。二か所三度の説法の場

前(さきの)霊山会 最初の10品

虚空会 次の12品

後(のちの)霊山会 残りの6品

ということです。

前霊山会は仏教に巡り合い信仰しようと決意する(大地・現実の娑婆世界・色法)

 

虚空会は勤行唱題の実践(内なる妙法の世界・死の住所・心法)

 

後霊山会は布教とかの活動(大地・現実の娑婆世界・色法)

というふうに捉えられる部分もあるかもしれません。

一応は王舎城の近くのギシャクッ山(霊鷲山)で釈迦牟尼世尊の最後の8年間説かれたとされていますよね。 実際現実にそうかもしれません。

でも説かれている内容からすると違います。 会座に集まった聴衆は何十万となるわけです。マイクもスピーカーも無いわけです。食事・トイレ・宿泊施設という問題もあります。虚空会(空中)ということもあります。

二処三会これは【己身(心)】ということだと思います。

虚空会について 地依り涌出して空中に住している宝塔の中 がその場所ということだということです。 なぜ宝塔が出現したかというと法華経を説く処(南無妙法蓮華経と唱えている)に涌現して正しいと証明して褒めたたえるため ということです。

宝塔の中には如来の全身があるということです。多宝如来(過去の仏)の宝塔ということなんですかね その中に釈迦牟尼世尊(今の仏)がまねかれ、隣に座れといわれるわけです。他の聴衆も中に入って礼拝・供養したいと云って中に入れてもらうわけです。

あと上行菩薩(未来の仏)も加わるわけです。

【前仏(多宝如来)すでに居し今仏(釈迦牟尼世尊)並に座す当仏(上行・日蓮)も亦然なり】 過去・現在・未来の仏が存在するということですね。

【阿仏房さながら宝塔 宝塔さながら阿仏房】という御文もありましたね、我々自身が宝塔ということだと思います。

【南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり】という御文もありますね。

【見大宝塔とは我等が一身なり在在空中とは我等衆生終に滅に帰する事なり、今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が在在空中なり虚空会に住するなり。】

【南無妙法蓮華経と唱え奉る時・・・己心の釈迦多宝住するなり】

【大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり・・・大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり】

我々は死ねば肉体(色法)はとりあえず無くなりますよね 【空】の状態(あり方)で宇宙に(虚空)溶け込むわけです。

御義口伝は偽書ということです。 けれども法華経を理解するのに結構大切な御書と思っています。

偽書ということで思うことは仏教経典全て偽書ということだと思います

釈迦牟尼世尊が直接書いたものは無いからです。

漢訳にしても前と後でどちらがより正しいか・理解しやすいかということだと思います。 文・義・意の中で義の漢訳が正しくないとしても意が正しければいいと思います

くどい話にはなります

日蓮の仏法 【因果俱時不思議の一法・これを修行する者・五字を受持すれば】

十界の因果が得られる という法門 これは既に証明されているということです。

仮説ではないのです。