はぐれ日蓮の信者のつぶやき(自分のこと・誕生日)

我々は一人で生きているわけではなく集団で生きているわけです。自分だけ日蓮の仏法を信じ修行していても、周りがそうでなかったら安穏な生活ができるということにはならないわけです。

ここで「立正安国」正を立て国を安んずる・ということが出てくるわけです。

環境整備・化他業ということですよね。

「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」なわけです。

で「謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん」

「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。」

となるわけです。

俺は俺の根本信条と言った「知者に我義やぶられずば用いじとなり」の後に続く

「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。」 これは俺的にはカットなわけです。俺は立正安国論は大嫌いだったのです。でも東日本大震災のあたりからだったか嫌いというのはなくなりました。

俺はあんまり家庭的な人間ではなかったのです。

来年 2021年 日蓮生誕800年 ということらしいけどあまりピンとこないということです。俺は自分の誕生日(1月19日)ケーキとかで祝ったという記憶はほとんどありません はぐれものになってからは仕事が生活の70~80%という感じで子育ても嫁さんにまかせっぱなし。 

岩手の家を出てくるときもおふくろに{必ず一家離散・バラバラになるぞ ただ俺はそれを修復するというふうには動かないぞ} と言って出てきたのでした。

まさしくそのとうりになり、住んでた家はもうありません。

子供とか、孫とか、嫁さんとかの誕生日には、何かプレゼントというのはあります。

日蓮の信者というのに誕生日2月11日だっけか16日だっけか命日10月12日だっけか13日だっけかという(なぜか覚えられない)バカな俺です。

いずれ旧暦だべ・今の暦だとプラス約一か月半(単純ではないみたい)で生まれたのは4月の初めころ(桜の咲き始めのころ?)(実際は3月なかごろかなと)死んだのは11月の終わりころなんじゃないのか?とか(これはたぶんOK)

仏滅後二千二百二十余年とかいってもその一年は今の一年とは長さは違うんではないか?

とか思うわけです。

死ぬまでに「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり。」

これは体感・感得したいなあとは思っています。