はぐれ日蓮の信者のつぶやき(自分のこと11・親父に殴られる)

俺の夢はこの世を自由自在に永遠に生きたい・でした・です。日蓮の仏法に巡り合いある意味かなったわけです。固く信じています。・たぶん本能的なものもあります。

でも今世においてその境涯を得るために、題目を唱えるということにはあまり熱心になれませんでした。悟らなくても永遠常住なわけです。人間としてではなくても。

悟ったらその後どう生きるのか?日蓮はその方法を布教しました。戸田さんは文字曼陀羅本尊を布教しました。その時代に合った行動かなと思います。

俺は人としてどう生きればいいのか?と考えたとき・今の状況の中で自分のやりたい事かなえたい事・を目指し生きればいいと思っています。

基本的に【人生を楽しむ】

仏の境涯は・小欲知足・とか法を広める(開示悟入)という作業があるわけです。

俺はそんな生き方はイヤだった、イヤなわけです。

俺の唱える題目は仕事とか人間関係とかそういったことがその願いとなります。まああまり時間は多くありません。

でもずっとこの仏法から離れないで生きていたいと思います・永遠に。

故郷にいたころ親父の仕事を手伝いに行き(トタン・屋根ふき)終わった後御馳走になり酒も飲んで帰りました。気が付いたら親せきの家で横になっていました。顔に違和感がありました。上の前歯が3本ほど無くなり、腫れあがりお岩さんみたくなっていました。(大笑・いまでは笑える)

家に帰ったら読経したそうで親父が気に食わないということで、殴る蹴るということになったそうです。酔っていたから大したことにならなかった?(前歯3本折れたのに) とある人から後で言われました・まったく記憶にないわけです。

仕事先の家は中学の同級生の家(女の子・一人っ子)父親は俺の親父の友達でたまに熊の肉など貰ってきていた・でした。

3度目の入会のお願いの時には学会の総B長が来てくれて話をしてくれるということだったんだけれど親父の小・中学校の同級生で親父に全く頭の上がらない人でした。

立派な親父さんなのに許してもらえないのは(俺が)よっぽどくだらないなさけないヤツなんだなおまえは・などと俺ばかりけなすということでした、親父には何も言ってくれませんでした。

次の日の朝早くに家を出たわけです。

親父はその後千葉県のパチンコ屋で倒れ(栄養失調)入院治療したけれど亡くなりました。俺を殴って約18年後ぐらいのことです。総B長は俺が家を出て3年後ぐらいにガンで亡くなったということです。

創価学会は貧乏人・病人だけの集まりとかいう世間体を気にしての反対だったのかと思います・変わり者の俺についても世間ではいろいろ言ってたんでは?と思います。

日蓮の仏法=生命論が創価学会という認識ではないんですね世間は。