はぐれ日蓮の信者のつぶやき(智者に我義やぶられずば用いじとなり)

開目抄にあるこの御文 誰かに自分の言った法門(南無妙法蓮華経と唱える)が間違いだ と証明される・ことがない限りなにを言われようと他の考え方・脅しとかは用いることはない(破られることはない)ということだと思います。

100%破られることはないということだと思います。

なぜかなれば、戸田城聖さんの悟達・創価学会員他の人たちの体験・この実験証明があるからです。

体験全てが日蓮の仏法の実践によるものとは言えないかもしれません(失礼を御許しください) でもこれによる事というのが結構あるということだと思います。

実験証明した人は一人や二人ではないということだと思います。

結果が出ない人はなぜでないのか それは日蓮の法門が間違いなのではなく、やりかた・ありかたの問題ということだとおもいます。 成功している人がいるわけだから

日蓮の研究者という人たちはその歴史とか真疑とかではなく(否定するものではない)なぜ結果が出る人とでない人がいるのか その研究をして発表してもらいたいと思うわけです。(菩薩・仏)

知識とか求めても得られるのは縁覚(独りよがり)なわけです。

実験証明している人達がいるわけだからウソ・まちがい・ではないわけです。

【一切は現象にしかず】

ただ日蓮の仏法を正しくやっているところは(組織・団体)はないということだと思います。財務とか登山とかは日蓮の仏法にはないわけです。(それに駆り立てる法門はある・それを利用している)会員とか檀徒さんは組織のために利用されているわけです。一部甘い汁を吸っている人達がいるわけです。(食法餓鬼)今の時代ネットなどでそのカラクリ・実態をあるていど知ることができますよね。

昭和49年だったか50年だったか、一度だけ内徳信仰の身で御開扉に参加したことがあります。今でも覚えていることは日達げいかの、凛とした唱題と帰りの列車(たぶん貸し切り)の中での俺の感想というか決意発表ぐらいですね。それはこうです

【詮ずるところは天もすて給え・・・種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり】なまいきにもこの御文を挙げたのです。

今でも変わりません。

【我義】これは日蓮の研究者(独歩くんとか)がなにを言っても破ってもいないし破れないということだと思います。戸田さんとかの実験証明があるからです。

今のコロナによる惨状日蓮が救ってくれるわけではありません。彼は法を説いた人なわけです。何とかするのは今の時代の我々なのです。