はぐれ日蓮の信者のつぶやき(日蓮への手紙)

【我々の命は永遠】これが仏の悟りであり教えです。一念三千(これは法華経で説かれるもので他の宗派で説くのは盗んでということ)十界互具・で百界・の一つの状態は十如是と分析できる・で千如・まああと三世間で三千ということだと思います。

十如是の如是体【法身如来】=【我・われ】(それぞれの生命体にそれぞれある)が永遠で常住ということです。もちろん三千具足なわけです。「我・実成仏己来・・・」

日蓮釈迦牟尼世尊 というとらえかたもあります これはいまはおきます。人間として常住ということでもないということです。

日蓮という人も常住】なわけです。名前も状況も能力も変わっているわけです。今の時代では。無くなっているわけではないのです。一人を手本として同じということです。

経文には阿私仙人=提婆達多 その弟子=釈迦牟尼仏 妙荘厳王達のいわれが説かれています。妙法を持った仙人が提婆達多に 同じ時期に修行していた4人の仲間が・王様、その婦人、その子供として語られています。方便(ウパーヤ)は嘘ではないのです。ここでは仮の教えではなく 巧みな手段 ということでしょう。過去の記憶が蘇っているからとけることだと思います。

日蓮は我々の今の文明において、【仏の境涯を得る方法を説いた人】ということだと思います。そのために法華経を体で読んだ、それを示したということだと思います。島に流され・襲われて傷を負ったり・ろくな住まいもなく・寒い中でもろくな着物もなく・布団もなく・食べ物もなく・風呂もなく・洗濯機もなく・トイレもなく・などなど(胸が痛く涙が出てきます)

【彼はキチット役目を果たした】

そんな彼に対する俺の手紙です

【大変ご苦労様でした確かに現代まで伝わってきて、俺のところにも届きました。今の時代いろんな受け取り方をして、非常に混迷しているということだと思います。でも後はもう俺たちの問題なので、この争いには混じらなくていいと思います。自分の好きなように、酒でも・女でも・ギャンブルでも・楽しみながら生きて行って欲しいと思います】

十界互具だけでは理論だけということです。如是縁が必要ということです。先のつぶやきを参照してください。成仏・宿業転換は同じ法則ということです。

彼のといた法門は難しいものではないと思います。こうなりたい・こうしたいと思いを込めて南無妙法蓮華経と唱える ある意味之だけだと思います。拝む対象として文字曼陀羅本尊があれば、なおいいと思います(自分の姿を見るのに鏡があればいいように)