はぐれ日蓮の信者のつぶやき(仏教・仏の教え)

俺みたいなやつが語るようなことではないんだろうけど、今の自分が捉えていることを整理、確認ということで軽くチョットだけつぶやこうかなと思います。

 

今のこの我々の文明、世の中に仏教・仏の教え というのがあります。

いつ、どこで、誰が、何のために、説いたのか・その内容とは?

いつ→約3000年ほど前(750年ほど前文字曼荼羅に仏滅度後2230余年とかから・2230+750=2980)(日蓮の認識では)

どこで→今のインド・ネパールのあたり

誰が→いわゆる お釈迦様

何のために→人間の基本的な苦悩(生老病死)の解決のため

に説いたということです。

でその内容とは?

 

いまに伝わる八万法蔵ともいわれる釈迦一代の法門はあまりにも多いわけです。

正確に言えばお釈迦様の書かれた経典は唯の一つもないわけです。いわゆる偽書なわけです(大大爆笑)如是我聞(このように聞いた)というのを後の時代の人が書き残したわけです。お釈迦様が使っていた梵語の法門を中国に取り入れたとき漢字に訳したわけです。法華経では六訳三存といって六種類訳したのがあってそのうち三種類が残っているということです。日蓮鳩摩羅什の訳した【妙法蓮華経】を採用しているわけです。

妙法蓮華経という言葉自体原本にはない とか言ってる人がいましたね 思わず笑ってしまいました 鳩摩羅什は意訳が強い とか 後で付け加えられた品がある ともども

文 でしか読んでいないのでは! 二乗根性の人は永く悟れない ということが思い浮かびましたね。 いずれ仏教経典自体偽書なわけです。

無量義経偽書とか言っている人がいます。インドに原典が無いから?とか言ってほんと此の人は笑えますね・俺からしたらだけど・くどいけど仏典すべて偽書なわけです。要はその内容がただしいのか・ウソなのかということです。一念三千の法門・これも原典にない・ウソなのか? 実際にやってみてウソか本当か判断するべき と思う。

この辺はおきます。

 

この膨大な教法を五時八教という経判で分類判別した人がいました。

天台智顗ですね。 

五時→華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃

八教→化法の四教・教法の内容で分類  化儀の四教・教化の方法

五時については【諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。】守護国家論

とあり対告衆の機根に応じて、前後して法を説いたということです。必ずしもはっきり区別されるということではない、ということだと思います。

こんな面倒くさいことはおきます。

 

仏の教えとはこの世・世界には 【仏界というのがある】それを感得・体得(いわゆる

成仏・仏とひらく)すれば一切の悩みが解消される ということだと思います。

 

※はじめのない過去から続く自分(我)をみる(観心)・久遠の自分・生命の実相(うつつ)・を知る ということ。※

 

で仏界というのは 【妙法蓮華経】 ということです。

仏界を説いたのが法華経というわけです。

膨大な数の仏典、法華経以外の経典は心(如是性)とか躰(如是相)の部分的なところを説いた経典ということです。

 

法華経を実教・その他の教を権(ごん・かり)教とか

法華経以外の経典を 法華経(真実の教)に至るための支度、準備(爾前)の教とかの言い方・捉え方もありますね。

この辺を無量義経の【四十余年未顕真実】方便品の【正直捨方便、但説無上道】などを引いてつぶやこうと思っていました。

でも無量義経偽書で天台智顗が未曾顕実を未顕真実と変えた とかで法華経は真実の教とはならない とかの書き込みとかを見ました。

※勘文抄の引用もやめます※

でとりあえず省きました。そんなこんなでわかりにくいつぶやきになったかもしれません。(もともと文才のない俺全部それでなくともわかりにくいのかも・大爆笑)

この辺について俺は仏教経典はそもそも全て偽書(お釈迦様本人が書いたものでない)

であって時の流れの中で進歩、完成されてきたものととらえています。

悟った人たち、それに準ずる人たちによってということです。鳩摩羅什・天台智顗・日蓮などなど

無量義経法華経・涅槃経と物語が完成されてきたということです。

内容が本当かどうかというのは実際にやってみて検証するということです。

この辺をいろいろ言っている人達については俺的には笑えるということです。

(表面的なことだけを捉えて、法門のことはおざなりにしている)

まあ俺なんかよりははるかに頭が良くて、いろんなことを知ってはいるんだろうけど。

そういう人たちにはなりたくはないですね。

経にいわく【説此語時、会中有比丘・比丘尼…五千人等、即従座起…及増上慢、未得謂得、未証謂証。有如此失。…如是増上慢人、退亦佳い】方便品・世雄偈

俺は教学なんかなくてもただ日蓮を信じて南無妙法蓮華経と唱える・唱えられる存在でありたい そう思っています。(まったくの本心です)※

 

※仏教・仏の教えの根本的な最終形態・法華経の三つの大事なこと・の基本・【他事を捨てて、余行に渡らない南無妙法蓮華経と唱える】ということです。

 表面的にはお釈迦様の残されたという仏典にはないわけです。※

 

仏と成(ひら)くには 法華経 しか無い ということです。

偽書であろうとなんであろうと今に伝わる妙法蓮華経を 身・口・意 の三業で読んだのが日蓮ということだと思います。

俺はただ日蓮を信じるということです。研究者ではありません。

まったく悔い・迷いはありません。 どういう生き方ができるか! ということだと思います。

仏の悟りの根本は 【我実成仏己来、無量無辺百千万憶那由他劫。】

我・自分というのは遥かなる過去から存在してきているんだぞ

【我常在此娑婆世界、説法教化。】

我・自分というのはこの現実の娑婆世界にずーと常(つね)にいるんだぞ

ということだとおもいます。

これを悟った人を 仏 悟れていない人を 凡夫 ということだと思います。

仏も凡夫も同じひとなわけです。

 

仏教は実験証明できるわけです。 (信じられなくても)(科学的ですよね!)

どうしても、何としても結果が出ない・これではじめてウソ・間違いとなるわけです!

ただ結果が出ている・出した人はいるわけです。 そういうことです。

 

ここまで科学が進歩した時代、神様がこの世を創造した というのを信じる人がいる 

というのは俺的には信じられないですね⁉

しかも今の地球人約80億人の30%ほどだとか?

 

※科学とかに違背しない仏法の生命論(信じられないという部分もあるかもしれないが)キリスト教ヒンズー教イスラム教などの矛盾を感じた人たちが仏教の英知に目を向ける時が必ずくると信じています。仏教 発祥の地インド、ネパール(いまは8割以上の人が信仰しているというヒンズー教・9億人ともいわれる)へ日本から逆に伝わっていくということです。科学とかの進歩によって理解しやすくなったと思います。※

 

悟った人たちが伝え今に来ている仏教・仏の教え 鳩摩羅什妙法蓮華経は大変すばらしいと思います。

仏教・仏の教えは【信じる】ということから始まります、(以信得入)

理解してから入るわけではないのです。

信じて行けば智慧がついてくるわけです【以信替慧】

理解するには信じるしかないわけです!

どんなに頭のいい人でも無理ということです。

経文では 舎利弗 でも無理ということでしたよね。

 

※今の我々の文明において、仏教・仏の教えの最終は日蓮・南無妙法蓮華経ということだと思います。※

後我々は証明するだけ と思います。