はぐれ日蓮の信者のつぶやき(廣田頼道さんへの手紙について)

2019年10月台風19号によって各地で甚大な被害がありました。13日に〔台風大丈夫ですか?〕〔丁度、12の御逮夜、13日の御会式の日に重なる甚大な被害状況の報道を見ると、心が締め付けられます。〕との頼道さんからのメールがありました。俺の返信のメール写真で公開したけれど、文にまとめて書いてみます。そもそも8月23日に出した手紙は、頭の悪い、文才のない俺が6通り、7通り下書きをして書き上げたものです。下書きの中には安国論の部分もありました。根、幹、枝葉、の例え(頼道さんは枝葉はいいとしても、根、幹がおかしい)もありました。最近アップされた法話にその話があり・あ、自分(頼道)のことをいっているな・と思いながら聞いていました。(笑)メール仲間には今回の台風は頼道さんへの手紙の足りなかった部分を補う機会を天が与えてくれた・などと不謹慎なことを言ったりしていました。申し訳ございません。

懈怠、浅識 の俺が言えることではないかもしれませんが最近の天変、災害などを見ていると、日蓮の仏法を学ぶ人は誰でも立正安国論を思い浮かべると思います。その中に「国滅び人滅せば仏を誰か崇む可き、法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須らく仏法を立つべし」とあります。同じく「先ず生前を安じて更に没後を扶けん」とあります先にお送りした手紙の中の(貧乏とか病気とかそういったことを何ともできなくて「現じ難い仏界」を現ぜられるでしょうか)(でもその前に相対的な幸福いわゆる健康とか経済的に苦しむことがないとか、などの状況を求めるわけです。それも実現できなくて絶対的な幸福などというのは叶わないということでしょう)の文証ということになると思います。私たちは法を説く時に必ず文証を出して説くべきだと思います、この立正安国論の中にも「ただ経文に就いて、いささか所在を述べん」とあります。先にお送りした手紙は極力文証を出して書いたつもりです、なので反論するということは私に対してではなくて仏教、日蓮に対して反論するということだと思います。三寶院さんの法華講信条(現世利益絶対否定の信心をしよう)というのは立正安国論の中に見られる日蓮の考え方とは違うということだと思います。こういったことから私は廣田頼道さんは大石寺よりも創価学会よりも法を下げていると書いたわけです。Aという人は死んでもAという人で連続・継続・常住 Bという人と混じることはないという考え方は仏教の根本的な考え方ということだと思います。文証はいくらでもあります。極端な言い方をすれば桜は桜のままで成仏するわけです、梅は梅のままで成仏するわけです、桃は桃のままで成仏するわけです、スモモはスモモのままで成仏するわけです、桃がスモモになるわけではありません。例えて言うならば溶け込むと言ってもフジテレビの電波とNHKの電波と混じりあうわけではないのです。成仏するということについては平等なわけです、でも個性というか差別これはあるわけです、一念三千ここでも三つの差別が説かれています(平等利益自他俱安同帰寂光)この中にも自、他とありますよね。10月の言葉の中に・無差別な生命・これは間違った考え方だと私は思います。この辺のことと自分だけが良ければいいという話は別の話ということだと思います。同じ文章に対して人によって捉え方は違います、それはそれで良いと思います。けれども自分と他人という解釈については誰しも同じような捉え方をするんではないでしょうか。(自分は自分・他人は他人) 自分は懈怠謗法、浅識謗法の人間ですなんだけれども日蓮の仏法については人に譲れないところがあります。私の考え方について反論するんであれば文証を出して反論していただきたいと申し上げるものでございます。文証のない話は自分の考え方「計我」ということだと思います。【法自ら広まらず 人 法を広めるゆえに人法ともに尊し】「正道の侶」今の時代どこに幾人いるんでしょうか ナマケモノの自分が言うセリフではないかもしれませんご勘弁ください。 

先日は心配のメールいただきましてありがとうございました、自分の親類なども全員ほとんど何も被害は受けなかったです。ただいつもながら日蓮の仏法を信ずる者としては心が痛いし何もしてこなかった自分、何もしない自分、情けないとは思っています。今の時代創価学会の影響からかあまり良く思われていないというところはあると思います自分はこの日蓮の仏法を信じていて人から見ていいなと思われるような人間でありたいとは思っています。母親の葬儀をきっかけに俺が日蓮の仏経の信者ということは結構広く知られるようになりました。自分の生き様を見せるしかないというふうに思っています。       以上

廣田頼道さんは正信会・広島・三寶院の住職さんです。ホウムページ、ユウチュウブで日蓮の仏教、ということでその教えというのを発信しています。間違った教えは広めるべきではないと自ら言っています。ある程度影響力があると思います。

俺の捉えている日蓮の仏法とは違います。仏法中怨これを恐れて手紙となったわけです

続く