はぐれ日蓮の信者のつぶやき(仏界の縁とは)

我々の一瞬の生命の状況を見てみた場合十界と言っている境涯の一つにあると思います。「数数他面を見るに、或る時は喜び、・・・喜ぶは天、・・・四聖は冥伏して現れざれども、委細に之を尋ねば之有るべし。・・・無顧の悪人も猶妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり。但仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむることなかれ。」経文にも一大事因縁 で人界に仏界がぐそくしている事が説かれています。私たちは喜ぶとき、怒るとき、などその状況になるときはなにかしらの縁(如是縁)というのががあります。現じ難い仏界・これの縁とは何でしょうか⁈ 「因果俱時不思議の一法・之を修行する者は仏因仏果を得る」「妙法蓮華経この五字を受持すれば」「妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、」「声仏事をなす」結論は南無妙法蓮華経と口に出して唱える事・だと思います。(ただし 信 具足・これは必須)文字曼陀羅本尊は直接の縁とはならないと思います。仏教では草でも木でも石でも埃でも一念三千の当体と説きます。確かに板でも紙でも仏界を有してるわけです。でもその本体ではなくて書かれた文字それに意味があるということだと思います。【安室奈美恵すきだ】文字には力があります。紙自体にあるわけではありません。【南無妙法蓮華経】この文字自体に力があるわけです。法華の心を知れる人(何処に幾人いるんでしょうか・すくなくとも文字曼陀羅本尊を三大秘法の根本と言っている人は違う)が入仏の儀式をしてもそのあと他の縁にふれてたちまちほかの境涯になったりしてあまり意味がないように思います。【妙法蓮華経】この五文字それ自体が仏ということです。あくまで根本尊敬・本尊は内なる妙法ということだと思います。文字曼陀羅本尊は内なる妙法を覚知するためのたいへんすばらしいアイテムだと思います。信仰心のない人にとってはたんなる板であり、紙でしかないということです。家を建てる人にとっては図面は必要で大切なものです。人間の生とは、死とは、これを知るのには日蓮の仏法ということだと思います。頭で覚えるんではなくて感得・体得ということです。経文には「一乗の法のみあって二も三もなし」とあります。否定する人は基本的に文面だけではなく実際にやって否定するべきということです。日蓮が助けてくれるわけではありません。文字曼陀羅本尊が助けてくれるわけでもありません。内なる妙法に因を作っていく消していく(自分で)ということだと思います。