はぐれ日蓮の信者のつぶやき(廣田頼道さんへの手紙・その5)

家を建てるのに南無妙法蓮華経と唱えて家が建つわけではありません、実際に木材にノコギリを当てたりカンナを当てたり釘を打ったりして建てるわけです 胃が痛くなったらパンシロンなどの胃薬を飲んだりするわけです お金が欲しいんであれば仕事を一生懸命やるとか株とかの勉強をしたりしてそれなりに努力をするわけです でも過去の宿業とかを考えた場合御本尊に向かい南無妙法蓮華経と唱え祈っていく(これを付け加える)そういうことで自分の望む方向に事が運んでいくということだと思います これが日蓮の仏法の在り方ではないでしょうか   教に曰く「以種種方便、説微妙法、能令衆生歓喜心」「但以方便教化衆生、令入仏道、作如是説」私たちは確かに最終的には絶対的な幸福(生きていること自体が楽しいという境涯=仏の境涯)を目指し、求めているわけです でもその前に相対的な幸福いわゆる健康とか経済的に苦しむことがないとか、などの状況を求めるわけです それも実現できなくて絶対的な幸福などというのはかなわないということでしょう  それを否定するということは道理にも仏法にも外れているということだと思います  絶対的な幸福の境涯とは内なる妙法を覚知した状態、過去から続く自分というのを知った時ということだと思います    出来ることであるならば これを信徒さんたちに公開して意見を伺って欲しい   と申し上げるものであります                       不尽

          2019年8月23日    上川原 則夫   廣田頼道 様