はぐれ日蓮の信者のつぶやき(曼陀羅本尊は題目を唱えられない)

つぶやくのが嫌になる時がある。でもまあどこかにはまともな信者さんはいるだろうと思いつぶやきます。はぐれ者のつぶやきです。(見る・聞く人はいないかもしれないが)日蓮が明らかにしてくれた法華経の三つの大事なこと【本門の本尊と戒壇と題目の五字・取要抄】このなかの題目は【他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし・報恩抄】とあり【唱う】・口に出して読むことですよね。

曼陀羅本尊は声に出して南無妙法蓮華経と読める(唱えられる)でしょうか(自ら)?

唱えれませんよね。三大秘法総在 ではないですよね。唱えることのできるのは人間だけですよね。猫はニャニャーニャン・犬はワンワンーワンかな?笑 人間として生まれるのは稀だということです。人間のときしか仏の境涯を得る事はできないということだと思います。(理論上は全ての存在に仏界がある。)

人間にとって生とは死とはこれを知りたかったらどうするか?日蓮曰く・

【夫れ無始の生死を留めてこの度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり・一生成仏抄】と言っています。

衆生本有の妙理=内なる妙法蓮華経=根本尊行・本尊 これをあえて文字(曼陀羅)に書き現わしたのが文字曼陀羅本尊ということだと思います。

【観心の本尊】

本門(久遠)の本尊は・内なる妙法・ということだと思います。文字曼陀羅本尊は焼けます・腐れます・壊れます・破けます・ 自分の姿を見るのに鏡があれば便利なように自分の内なる妙法を観ずるのに凄く便利なアイテムということだと思います。

大石寺の【戒壇の御本尊】なるものが仮に日蓮が書いた・作ったものだとしても本門(久遠)の本尊ではないのです。いつかは壊れます・無くなります。日蓮は多くの文字曼陀羅本尊を残されました・そのどれかが根本で他は枝葉だとは一切言ってないわけです。

大石寺戒壇の御本尊様が三大秘法の根本というのであれば、出現する前はどこに三大秘法の根本があったのでしょう❓そしてやがて 無くなります  今度はどこに存在するのでしょう❓ これは理証 ということですね まったくのウソということです。

石山(大石寺)はウソつきの宗門ということです❕(三大秘法の根本と言わなければいいのです・よかったのです。)(56世日オウから言い出した❓)※

 

ここに安室奈美恵(仏界にたとえる)さんがいるとします【安室奈美恵すきだ】(南無妙法蓮華経と唱える)と声に出して言えば思いが届きますよね【声 仏事をなす】うれしいわ・とかあんなメガネをかけたデブなんていやだわ・などとおもうかもしれませんが(大爆笑)。声にはちからがあるわけです。

日蓮の教えは【余行に渡らざる・南無妙法蓮華経と唱える】ことです。

難信難解・信じられないかもしれません。でも俺は実験証明する価値はおおいに

あると思います。

いまの世の中を見てみるとどこにもちゃんとした・正しく日蓮の仏法を教えている・行じている所はないように思います。

やってみてダメであればその法則は間違いなわけです。

このブログは世雄偈を教えてくれた廣田頼道さん・その恩義のあるかれの間違った捉え方を正そうと思い始めたわけです。(法華経に身をまかせた)俺の捉えている仏法をぶつけてきたわけです・ある人から将来の自分が見るかもしれないから日記ふうな書き込みもあっていいんじゃないかといわれました。前向きに考えようと思っています。