はぐれ日蓮の信者のつぶやき

人間誰しも100%死にます 死とは人間とは、その答えは仏教なかんずく日蓮の仏法にあると思っています。科学、技術、がいくら進歩発展しても解かることは有りません。いかには解かっても何故ということはわからないのです。日蓮の仏法・今の時代いろんなことを言われています。「智者に我義破られずばもちいじとなり」ろくに勉強もしない、活動もしない俺が言うことではないかもしれません。いずれそれぞれの解釈に従って修行してどういう結果になるか・ということだと思います。ナマケモノの俺ではあるけれど自分なりにとらえた捉えている日蓮の仏法があります。未熟、浅学ではありますけど。ネットで見かける犀角独歩さん富士門流信徒の掲示板の管理人・宮田 幸一さん?たちなど彼らについては畏敬、尊敬の思いで見ています。自分はああいうふうに資料を集め検証していくことはできません。彼らの研究の成果は大変参考になります。俺は南無妙法蓮華経と唱うる普通の人であり続けたいと思っています。王様になって多くの美女を侍らせ、美味しいものをたくさんたべ、やりたいことを全てやったとしてもやがて年老いて死ぬわけです。不老不死の薬 ちょっと違うけれども日蓮の仏法にそれがあると思います。生まれて成長して活動して年老いて死ぬ。これをコントロール出来る・これが仏の境涯だと思います。このことは客観的に証明するということではなくて自得「我・仏・來は自得なり」ということだと思います。過去・現代・未来永遠の時の中で最高の知恵だと思います。一生をかけて取り組む価値があると思います。そのなかで広島・三寶院・廣田頼道さんとめぐりあいました。2017年11月頃のことです。2018年2月に世雄偈の教本を送ってもらいました。深く感謝いたしております日蓮の出世の本懐の捉え方ぐらいかな違うのは と思っていたらそうではありませんでした。法話を聞いて 「仏法中怨・与同罪」がよぎりました。それであの手紙となったのです。其の後のメール55枚ほどの写真として記録があります。法話ということでプライバシーの侵害とはならないと思い公開致します。