はぐれ日蓮の信者のつぶやき(廣田頼道さんへの手紙・その3)

大石寺では題目も唱えられない(口唱首題、声仏事を為す)板文字曼陀羅本尊を三大秘法の根本の存在と言って人々を惑わしています 幼稚園児でもわかるような間違いでしょう 物体を本尊とするカルト、本門の題目も唱えられないのに三大秘法そうざいと言っている 更に仏は如我等無異の立場の存在です それを唯受一人血脈相承などと独りよがりの法門を説いています 「唯仏与仏」とは違います 大石寺戒壇大御本尊は日蓮在世の時には無かった というのは間違いないことだと思いますそれこそ皆さん考え方を切り替えるべきだという事です  創価学会日蓮のことよりも池田大作の方を前に出してやっています どちらも日蓮の仏法を利用して利益を貪り人を動かしています一般の信者は可哀想だと思いますまあきつい言い方をすれば騙されるほうも騙される方なわけです でも因果の法則からすれば騙している方はそれなりの報いを受けるという訳です 今日は泥棒して裕福な生活をしている でも必ず明日という時はやってくるわけです その業因は必ず果として現れるわけです いつ現れるかは仏(生命)のみぞ知るということだと思います でも必ず現れるわけです  この二つの団体よりも廣田頼道さんは日蓮の仏法を下げているということだと思います 成仏、成仏と言っているけれども成仏とはどういうことを言うのでしょうか(我々はこの世だけ、来世はない)ということであれば成仏も何も関係ないということだと思います 成仏しない人は死んだらどうなるんでしょうか そもそもこの世の中には貧乏な人、金持ちの人、病気の人、健康な人、美人、ブス、などなどいろんな差別があります それをどう説明するのでしょうか 私は成仏というのは仏になるということではなくて 仏と開く自分の内なる妙法を覚知する ということだと思っております 頭の中で覚えるということではなくて感得ということだと思います 牛乳というのは水分が何%でタンパク質が何%、ビタミン何々が何%と分析して頭の中で覚えていても実際飲んでみないとその味というのは解かりません そおいうことだと思います