はぐれ日蓮の信者のつぶやき(廣田頼道さんへの手紙・その2)

如にょと来るもの=如来 とは我々の生命のことこれが無始の過去から無終の未来まで続くものということだと思います 過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんとすればその現在の因を見よ 我々にはいろんな差別があります それはその生命における過去の業因を受けての果報ということです 日蓮の仏法においてはそれまでの仏教よりも踏み込んで今世において過去に作った現在現れている好ましくない結果を掃き出して(転重軽受 変毒為薬)自分の望む結果を出す「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」真筆とは認められていないかもしれませんが当体義抄に「因果俱時不思議の一法 これを修行するものは仏因仏果同時に得る」とありますこれは仏因仏果に限らず金持ちとか健康などの果も得られるということだと思います 昔の好まざらない因(宿業)を掃き出し(転重軽受)望む果を出していくこれが日蓮の仏法だと思います仏教の根本である三世の生命 宿業転換、これを頼道さんは否定していました、経文の読み落とし、読み間違い、ということだと思います この二つを否定する人は仏教を教える広める資格はないと思います  仏教、仏 は何のために存在するのか「開示悟入の一大事因縁」平たく言えば人々の苦悩(一番大きいのは死)を取り除くこと、ということだと思います  頼道さんは(皆さん方は今だけ、未来世には皆さん方はいない)我々の生命を(大海から取り出されたしずく、覆水盆にかえらず)というような全く幼稚な捉え方をしているようです、そのとうりであるならば仏道修行はする必要はないでしょう 廣田頼道さんの法話では救われる人はいません 法華経にも日蓮の仏法にも全くないと言ってました くどいけれど経文の読み落とし、読み違いということだと思います 人々から夢と希望を奪い取っている‼ わけです  先に挙げた経文はご存じの如来寿量品、観心本尊抄です 一例です