はぐれ日蓮の信者のつぶやき(葬儀・葬式について)

葬式とは 人間だれしも死にます、その遺体を処置する方式・儀式ですよね。

宗教とかによって色々な方式がありますよね。

俺は三世の生命を堅く信じています。なので葬儀というのはかなり大事な儀式と考えています。

 

日蓮も信者さんとかが亡くなったりしたときには自分とかお弟子さんとかが出向いて葬儀をしていたみたいですね。

【むかしこの法門を聞いて候人々には、・・・我とゆきて其のはかに自我偈よみ候はんと存じて候。・・・訪(とぶら)い候はねば、聖霊いかにこひしくをはすらんとをもえば、あるやうもありなん。そのほどまづ弟子をつかわして御はか(墓)に自我偈をよませまいらせしなり。】 減劫御書・身延

 

日蓮本人も亡くなった時葬儀をしたわけです。日興さんの書かれた【御遷化記録・西山本門寺 真櫃在】記録があるわけです。

導師は日昭さん、サブは日朗さんだったということです。

二箇相承は偽書と解るわけです。。

 

死んだら何もかも無くなってしまうのか⁈

いやそういうわけではないのです。 あたかも一日の終りに寝る(死)とき、事故とか病気でくるしんで眠りに就けば寝ているとき(中有)苦しいわけです。

楽しいこととかあって眠りに就けば穏やかに眠れるわけです。

死んでもこれらのことが継続してるわけです!

死は今世と来世の境目なわけです。我々は 妙法 でつながっているわけです。

なので葬儀・回向などによって亡くなった人に妙法を躍動させはたらきかけるわけです。

読経・唱題ということです。 Aさんを呼び寄せるのにHさん(爆笑)とよんでも呼び寄せることはできません。阿弥陀さんとか呼んでも仏界(妙法)は動きません。名はあっても実体はないのです(架空の仏)。

法華経を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身という。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり】 木絵二像開眼の事 

 

葬儀・葬式はどんなやり方でもいいというわけではないわけです‼

 

母の葬儀について に続く