はぐれ日蓮の信者のつぶやき(一念三千その2)

法華経に一念三千があるといっても十如是の説かれる方便品は始成正覚の立場なわけです。寿量品に至って久遠実成が明かされ本当の因果が現れるわけです。【いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千も現われず・・・本門に至りて始成正覚を破れば・・・爾前迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き現わす、これすなわち本因本果の法門なり。・開目抄】この4番目の教判【本迹相対】これはすごくすごく大切だということです。〔本・本地とは仏の本来の境地〕〔迹・垂迹とは仮に現した姿〕

【久遠実成の仏・永遠の生命の一念三千=事の一念三千】【始成正覚の仏・今世で初めて覚りを得た仏の一念三千=理の一念三千】 『本迹の相違は水火天地の違目なり。・・・本迹を混合すれば水火をわきまえざるものなり。・権実違目】

法華経本門に至って(久遠の生命の立場)本当の一念三千が現れるということです。

【我実成仏己来・・・】この我とは誰でしょう? 文上では釈迦牟尼世尊ということだと思います。久遠の昔に悟っていた人は誰でしょう? 名前とか違っているけど釈迦牟尼世尊ということだと思います。地球でもないわけです。くどいけれど(我々は今だけ・来世にはいない)などという人はこの仏の教えを否定しているわけです。

(一切衆生平等成仏)という共産主義者でもいうような・平等、平等といっている人がいます。平等という意味をご存じなんでしょうか?といいたくなります。

我々の今の世の中を見てみると・不平等きわまりないように思います。貧乏な人、金持ちの人、病気、健康、美人、ブスなどなど キリスト経の言うように神が作ったのなら【そんな神などいらない】となりますよね。

ここでも生命の永遠の時間を取り入れて平等となるわけです。今の自分は過去世の業因によるもの・これで平等となるわけです。(我々は今世だけ)と語る人は平等などと語れないと思います。