はぐれ日蓮の信者のつぶやき(一念三千その1)

智顗・湛然・開目抄・本尊抄などははぶきます(澄観・一行も)サラッとつぶやきます。面倒くさい、ここでは必要ないと思う。

十界・三世間などが法華経以外の経典に説かれているといっても部分的なわけです。法華経にきて完成するわけです。他の経典にはないわけです。【成仏(仏と開く)法則は一念三千】なわけです。従って法華経以外の経典では成仏はできないのです。名は有っても実体はないわけです。歎異抄ぶっちゃけ寺を作っている人たちは此のことを知っているんでしょうか?法華経以外の経典を依経としているお寺の僧侶さん方信徒さん方も同じです。勉強していないということです。ここまで文明が発展した現代においてはちょっと勉強すればまともな感覚の人ならば誰でもわかることだと思います。

いろんな教えを判別するのに(教判)【五重の相対】というのがあります。上の部分は「3番目の権実相対」ということだと思います。

【成仏の教とは法華経なり。・・・法華経已前の諸経なり、彼の諸経等は不成仏の教なり。・得意抄】【仏教に入って五十余年の経々・八万法蔵を勘えたるに、・・・権経あり実経あり、・・・ただ法華経ばかり教主釈尊の正言なり。・・・恒河の諸経を「未顕真実」、八年の法華は「要当説真実」と定め給う。・開目抄】

一番目の教判は「内外相対」ですね。内道=仏教 外道=仏教以外の教 外道は因果(科学)を無視しているのでダメということ。キリスト教のように〔神がすべてを造った〕〔聖母マリアが処女でキリストを生んだ〕ここまで科学が発展した現代においてこういう非科学的なことを信じる人がいるというのは俺的には信じがたいことです。

科学が進歩すればするほど仏教がわかりやすくなると思います。なぜかならば仏教は世の中、自然をありのままに説いたものだからです。

【南無妙法蓮華経と唱える】ことで、自分の業因を掃き出し・新しい因果を作っていく それこそ非科学的というかもしれません。でもキリスト教のそれとは違います。

実際にやってみて実験証明するという方法があるわけです。戦後創価学会戸田城聖さんの指導の下、体験発表を前に出して布教していきました。今と違ってハングリーな人達が多い時代それなりの結果をだしたと認識しています。2020年今年の箱根駅伝創価大学の10区・島津君・には感動しました。これだけでは本当だということにはならないかもしれません。それぞれの人がそれぞれ実験証明していくということだと思います。【ちかき現象(証)をひいてとおき信をとるべし】【心得られざるも・現象有れば、これをもちいる】【一切は現象にしかず】仏教は科学に反していないのです。

つぶやこうかどうか迷っていました・はてなブログさんのメールで決断できました。

終活という意味もあります。よろしくどうぞ