はぐれ日蓮の信者のつぶやき(城聖さんの生命論2)

【本尊抄に「仏界計り現じ難し」とあるが、その仏界を現ずる縁となるものは何か。日蓮大聖人の仏法の極理は事行の一念三千であり、実践の形態は三大秘法にある。ゆえに本門戒壇の御本尊を信仰することのみが、その縁となって即身成仏をえられるのである。】 これはかれの論文です。昭和24年7月10日発行大白蓮華1号

とあります が間違いです 仏界の縁は【一大秘法の本門の題目】です。

同じ論文の中に、独房の中での悟りの部分

【大聖人の教えのままにお題目を唱え抜いていた。唱題の数が二百万遍になんなんとするときに、私はひじょうに不思議なことに突き当たり、いまだかって、測り知りえなかった境地が眼前に展開した。】

独房の中には文字曼陀羅本尊はなかったと思われます。 仏界の縁は題目です

彼自身が証明してるわけです

三大秘法の本門(久遠)の本尊は 日蓮が魂(本当の月)=衆生本有の妙理(妙法)であって 墨に染め流して書かれた文字曼陀羅本尊(池に映った月)ではないのです。

俺は戸田城聖さんが大好きです。 なんで三大秘法の根本を大石寺の大御本尊といったのか理解に苦しみます。まあ時代背景的にはそれが手っ取り早かったのかも 今の日蓮の仏法の広がり(混迷してるけど)は彼の功績が大きいと思います。

日蓮の仏教(創価学会・他の団体など)などというものがあるがために不幸になった。という人がいるかもしれません。でもそれは あるから ではなくて【使い方】の問題だと思います。車があるから不幸になった。(交通事故など) ということに似ていると思います。

日蓮が咎にあらず】と彼を擁護しておきたいと思います