はぐれ日蓮の信者のつぶやき(頼道さんへの手紙・補足)

ちょっと早口でつぶやいているなと感じています。御容赦ください。8月23日の手紙の返信は、こうでした。【随分長い時間、私に対する不信感を抱いて、創価学会より、大石寺より謗法者で、信者さんを騙しているという考えに膨らんでしまったんですね。おかしいと感じた時点で即座に質問して貰いたかったです。残念です。上川原さんは日蓮大聖人の、一念三千の法をどの様に理解し、どのように説明していますか?まず話し合う前提として御尋ねします。】 まあある程度予想どうり・やっぱり解っていないんだな(仏教を・勿論俺からいわしたら)と思ったわけです。ある程度文証を出して書いたわけだから反論出来るはずはないのです。その後のやりとりは 写真 としてアップしてあります。気が向いたら見てやってください。俺の仏法のとらえ方をNHKで放送した『さまよえる魂のゆくえ』 とか引き出して概略書きました。結論は 【教えて貰ってから、色々調べました。殆ど全ての解釈は、上川原の示した通りでした。私は、学生の時に、教学に精通されている先輩に次から次に質問をして、仏教の基本的な素養を教えて貰いました。その先輩に法身が空諦、報身が中諦、応身が仮諦、と教えて貰い、説明も理路整然、納得出来るものでした。今回、法華文句の原典にも当たってみましたが、当然三身と、三諦を対比した記述はありません。先輩が間違いを教えたのか、アンチテーゼで教えたのか、亡くなられたので確認しようもありませんが、何故、空が智慧である報身なのか釈然としませんので、新たな研究テーマとして論文にまとめて問題提議したいと思います。今回は好機を頂き有難うございました。】  ということでこの後の法話を注目していたわけです。 2でも言ったようにあまり変わってないのかなと!【 宿業転換は日蓮の仏法にはない】この根拠?文証は?個人的なラインではなくて公開の場でということです。なのでこのブログを始めたのです。俺は日陰の雑草にもみたないはぐれ者です。「ともかくも法華経に名を立て、身をまかせ給うべし」身をまかせるのは100%OKです。ただ名を立てるのは99%嫌です(本心)立てるのは***だけでいいです(これまた本心) 笑 こんな俺でも譲れないものがあるわけです。ラインでも書いたけれど他の正信会の僧侶さんたちも宿命転換否定なんでしょうか。?だったら俺から言わしたら【与同罪】・【計我】・でなかったら頼道さんを諭すべきです。信徒さんたちがかわいそうです。(本人も) 

俺はくどいけれど、文証に【観心本尊抄】などををあげています。俺の読み違いなんでしょうか?身をまかせたらこの書き込みとか、手紙とかになったわけです。